早いもので、このブログの投稿を開始して明日で丸一年経過します。1.から15.までは私の主張を整理してお話することで、当初から予定していた内容でしたが、それ以降はそのときどきのニュースなどに接して感じたことを「新ハルモニア主義」の精神を背景に語ったものです。取り上げたテーマは、ほとんどが悲しいニュースに基づくものが大半でした。この一年間、新型コロナウィルスの流行、オリンピックが抱える問題、政府の政策、選挙、政治不正、悲惨な事件(交通事故、幼児の死亡、行方不明)、そしてロシアによるウクライナ侵攻と、その影響を受けたエネルギー問題、円安、物価高、安倍元総理の殺害、旧統一教会などについて論じることで終始しました。

 そのような悲惨な事柄は、ほとんどが人間の欲望や自己本位や無責任な心が起因しているものであると感じています。人間のものの考え方や行動は、生物としてDNAにインプットされた自己防衛本能、子孫への継承本能からも説明されますが、それはほんの一部でしかありません。長い歴史の中で、人類は数多の争いを繰り返して来た一方、人間は知恵というものを発達させて来ました。自己本位を突き詰めていけば、悲惨な殺戮や破壊で、豊かな地球を凄惨な世界へと導いてしまうことを学んで来たのです。凄惨な世界には、一部の支配者層と多くの被支配層しか存在出来なくなり、例え支配者層であっても、いつなんどき、その権力や富を奪われるか分からない不安定な世界になり、結局、誰一人平穏な人生を過ごすことが出来ない現実があるのです。このような理解によって、人権、平和、法律などの整備が進められているのです。それが近代になって生み出された民主主義です。しかし、まだまだ人類は未熟であり、民主主義も完成には程遠い状態です。さらには、未だに、独裁国家が多数存在しており、独裁者が自己の地位を守る為に、軍事力を増強し、最終的には核兵器を最大の防衛手段として保有することに固執しています。
 
 ロシアなどのような国レベルの横暴な行動が最も多数の人類への影響としては大きいのですが、日本国内の問題にしましても、為政者、経営者の自己第一の振る舞い、責任あるべきものの無責任な行動なども、色々な事件につながっているのがはっきり見えて来ました。

 このような現実を憂いて、一部の特権階級だけが富や権力を独占する社会ではなく、多くの人々が富を分配する社会を目指したいと思っています。多くのひとが飢餓を感じず、ある程度豊かな生活をして、その余裕の中で、自分の幸せをそれぞれの物差しで追い求めて行くのが理想です。多くの人々がそのような状態になれば、戦争などする必要は無くなります。安心して暮らせるのです。そして、今のように超富裕層が贅沢三昧の生活をしたり、軍事費用に膨大なお金をかけなければ、多くのひとがある程度豊かな生活ができるに足る富を広く分配できるのです。もちろん、それに甘んじて真面目に働かなくなれば、富も徐々に減少して、また奪い合いになりますので、きちんと生産活動を続け、技術の進展に努力しなければなりません。その為の動機付けとしてのある程度の成果主義は必要だと思いますが、行き過ぎた富の偏在を避けられるような社会システム構築及び法整備が必須です。そして、大切なのが教育です。今のような形式的、綺麗事の教育では多くのひとが幸福を目指し、得られるような考え方を学ぶことはできません。

 この一年間のいろいろなニュースを考えて行きますと、新ハルモネア主義に掲げた思いを引き続き皆様にお伝えしたく心をあらたにしましたので、またしばらくこのブログを続けていきたいと思います。宜しくお願いいたします。

投稿者

弱虫語り部

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