ちょうど今日で一年経ちました。ちょうど200回目の投稿です。始めたときは、どれだけ続けられるか不安でしたが、なんとかここまで来ました。いつもその時に思いついた言葉を紡いで来ましたので、文章としては読み辛いものとなっていると思いますが、私の心の叫びだと言うことで、お許しください。
人はこの世に生を授かり、成長し、社会の一員として、何らかの貢献をしながら生きて行かなければなりません。その人生を充実したものにする為には、自分なりの物差しを見つけて、幸せを追い求めていくのだと思います。我々の社会は、あまりにも多くの人間が存在していますが、その大規模な世界を維持していくには、多種多様な機能をいろいろな人達が担って行かなければなりません。個々の機能には、無駄なものは無く、誰かが担って行かなければならないのです。ここに、充実した生活を送る為のヒントがあります。誰彼と比べたり、羨ましがったり、妬んだりすることではなく、自分の心の叫びを良く聞き、何をする事で充実感を得られるかを判るようになれば、それが幸せの物差しとなるのです。個々人が各々の物差しに従い活動し、そして他人の物差しを尊重して生きていけば、この世界はもっと幸せで溢れて行くと思います。
しかし、我々はなかなかそのことに気付かないものです。そして、自分の幸福の物差し探しを妨げるものは、他人と比べること、権力や富(お金)や名声を幸せと誤解すること、他人から奪うこと、自分だけ幸せになればいいと勘違いすることなどです。
ひとはそれぞれ特有の個性、長所、短所を持っていて、同じひとは一人としていません。だから、他人と比較したり、羨ましがったり、妬んだりすることはナンセンスなのです。
権力や富や名声を計るのは判り易い物差しですが、本当にそれが幸せでしょうか。それは貧しい心の持ち主が本当の幸せの物差しを見つけられないから、無理やりそれがいいと思い込むことなのです。そして、それらは他人と争い、奪い合うもので、常に争いの種となるものですので、その中に平穏な生活などはありません。平穏は、それらをお互い分け与えて行くことで得られるものです。自分だけ幸せ(まやかしですが)になればいいと思うと、世界から争いは無くなりません。
人間も生物ですから、生きて行く為には、ある程度の富は必要です。しかし、それは莫大な富では無く、太陽から降り注ぐ膨大なエネルギーから与えられるものを人間が労働で収穫することで充分賄えるものです。その為に、人間はいろいろな労働をしなくてはなりませんが、それもそれぞれの得意な機能を果たして行くことで、達成できるものです。もちろん、大自然はいつも一定ではありません、自然災害、天候不順や、気象変動などの変化がつきものですので、それに備えたいろいろな知恵や技術や富、労働が必要ですが、そのようなリスクマネージメントも含め、社会の法律、制度、システムに織り込み、それを実行できる体制を築き上げることが出来れば、かなり安定で平穏な世界が実現するのです。新ハルモネア主義が目指す社会はこれなのです。この考え方が広く知れ渡り、そのことを実現する為に尽くせるリーダーを選び、そのもとでお互い助け合い、分け与え合いつつ、自身の個々の幸福を追求していける世界につながることを願っています。