岸田総理が、旧統一教会について、解散の要件として、刑法上の法令違反が確認出来たら請求すると言う答弁をされた翌日に、考え方を整理した結果、民法の不法行為も必要要件となり得ると前言を180度転換されたと話題になっています。
確かに、総理の発言は非常に重いものであるのは間違いないのですが、それでこそ、その発言が間違いと気付いた場合は、即座にきちんと訂正することは悪いことではないと思います。もちろん、周りが混乱すると言う弊害は出るので、なるべくならやらないに越したことは無いのですが、と言って、過ちを認めたくなくて、前言を押し通すのがもっと悪いことだと思います。
ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ侵攻について一切間違いは無かったと強弁を繰り返していますし、中国の習総書記は、ゼロコロナ政策は行き過ぎていたどころか、自画自賛されていますが、こういう態度こそ、一番迷惑で、どうしようもない結果が導かれるのだと思います。この方達は、頑固に持論に固執していろいろな人達に多大な悪影響を与えることよりも、誤りを認めることで自分の面子が傷つくことの方が許されないことのようです。まるで、間違いなどする筈がない神のように振る舞っているのです。しかし、彼らも人間なのです。いつも申しますように、人間である以上、どんなに優秀な人であろうと、間違いを起こすのです。それなのに、独裁者の特徴は、自身を神格化して、国民に崇め奉られるような存在になろうとすることです。それにより、多くの国民や他国の人々を苦しめるのです。
人間である以上、例えどんなに優秀であろうが、例えどんなに数多くの人達に支持されていようが、人間のやる事でミスが皆無ということはありません。重要なのは、ミスをした後の態度だと思います。自分の意見に対して、周囲の人達の意見や、有識者の意見、ましてや異なる立場の人の意見、国民の意見にじっくり耳を傾けて、自分の当初の意見をきちんと再点検し、判断することが必要です。それで、自分の意見に過ちが判明したら、前言を翻すべきあると思います。それが、正しい道を歩む為の非常に大事な方法なのです。そして、国のリーダーたるもの、国民の為、ひいては世界の為になる最良の道を選ばなくてはならないのですから。