中国共産党の五年に一度の党大会が終わりました。習総書記の続投が決まり、李首相や汪氏と言った習氏と一線を画するメンバーが指導部から外れ、新指導部の顔ぶれは習氏に近いもので占められることとなりました。
かつて、絶大なる権力を誇り、独裁者として君臨した毛沢東氏の専横政治の反省から、国家元首である総書記以下の党最高幹部は、不文律ではありましたが、党大会時に67歳を超えては続投出来ないと言う定年制が続いていました。しかし、前回の党大会でそれを破棄して、習氏の続投可能な道がつけられていました。
毛政権時代の経験から、どれだけ優れた実績を残した人であろうが、長く権力の座についていると、その間に、失政も起こすことがあると言うことの反省から、歯止めを打ったルールでした。非常に、人間の本質をついたものであると思います。しかし、習氏は中国を世界第二位の経済大国、軍事大国にのし上げた実績で、毛氏のような絶大な権力を持つに至りました。そうなると、毛氏のように絶対権力者として自分を奉らせるように、対抗する力を削いで、自分の思うように事を進めて行った結果がここに結実したのでした。
私は、人間というもの、完全無欠のものはいないと思っています。それにも関わらず、歴史で繰り返されているのは、独裁者が出現し、専横的な政治や統治をして、人民に多くの苦しみを与えて来たのです。権力と言うものは、麻薬のように、権力者の感覚を麻痺させ、自分は優れている、間違ったことはしない、自分の考えはすべて正しいと誤解し、自分に歯向かうものはすべて排除してしまうので、益々、その非を指摘されることが無くなってしまうことになります。このような悲劇を繰り返さないように考えられたのが、権力者の任期を定めたり、対抗陣営を保護したりすることだったのです。
今回の中国の行為は、これに真っ向から歯向かうもので、つまり権力者の任期を撤廃し、周りをイエスマンで固めると言うような時代を逆行するものだと思います。
今後、この新体制下、中国は、と言うか習総書記はどのようなことを起こすのか、非常に心配です。プーチン大統領のような愚かな判断を為さないことを強く願っています。
権力の集中が怖いのは、いろいろな場面でも見られます。最近の日本でも、日本大学やボクシング協会、体操協会や、多くの企業でも専横的な統治が行われた結果、多くの腐敗を生んだのは記憶に新しいと思います。それほど権力というものが、権力者自身の過信を呼び、客観的な判断が出来ないほど、目を曇らせてしまうのです。そのようなケースでも、例外なく今回の中国と同じような構図が存在しています。それなのに、それを許し、繰り返す人間と言うものは本当に愚かな存在ですね。