アメリカ合衆国で、中間選挙が実施され、開票が進んでいます。そのニュースを見ていますと、前回の大統領選に不正があったと言うことが未だに争点になっているのには驚きました。だいたい当時大統領であったトランプ氏の目を盗み、反対陣営が不正を働ける程簡単ではないと思いますし、もしそうだとしたら、アメリカという国の管理システムが酷く脆弱であると言うことになると思います。つまり、そんなことはあり得ないと思います。自分が選挙に勝ったら正しい、負けたら何らかの不正があったというのは、本当に子供染みた言い訳だと思います。それを支持する人達が多数いるというのも怖い話です。このようなやりとりをしていては、民主主義の仕組みを崩壊させ、本当に国民に必要な事が出来なくなってしまうことが判らないのでしょうか。
トランプ氏への人気は、ある意味救世主の出現を恋焦がれている多くの人達の願望が結実した幻想のような気がします。確かに、彼の歯に衣着せぬ言動は、強いリーダーを呼び起こしますし、それまでの温厚なリーダーに期待を裏切られた人達にとっては、熱狂する対象となったのだと思います。怖いのは、そう言う集団催眠をかけられたような民衆の思い込みです。ヒトラー政権だって、多くの民衆の熱狂の中から生まれたのですから。
我々庶民は冷静にいなくてはなりません。一時の感情で、盲目的に行動してはいけません。歴史がそのことを知らしめてくれています。それなのに、今、世界のあちこちの国で、過激な言動をする政治家が歓迎されている状態が拡がりつつあるのは非常に恐怖を感じます。一見強そうに見えるリーダーは大衆の為と訴えて更なる支持を得て行きますが、実際、大部分は独善的で、権力を握ると自分の支持者以外や弱者を切り捨ててしまいます。そうして、自分自身と取り巻きの権力と富だけは守り抜こうとするのです。結局、中世の時代に後戻りするかのような、大衆の幸せが軽んじられる時代が来ると思います。そのときになって後悔しても遅いのです。そうならないように、マスコミや識者は多面的に正確な情報を伝え、我々民衆はその情報を冷静に判断して、選挙の票を投じないといけません。甘い言葉にほだされて、伝染病にかかったように熱にうなされて判断能力を失わないようにしなくてはならないのです。