人類の歴史は、戦い、戦争で明け暮れていました。近代になり法治国家が出現し、国家内での争いが減少していますが、まだまだ戦乱が続いている国があり、さらにロシア、ウクライナのような国家間の争いも絶えていません。私が実感していますのは、ほとんどの人間は、戦争などしたいと考えていないと言うことです。それなのに、どうして人間は人殺しである争いを続けているのでしょうか。
国家という体制が整備される前には、ある意味無法地帯の中で多くの人類は生活していました。ですから、武力を持った人が必要でした。そして、武力が最大の力であったので、武力を背景に権力を獲得し、それを使って、食料やその他の富をも獲得していたのです。ほとんどの庶民はその武力で守られている代償に労働で得られる富を権力者に献上していたのです。ある意味、ギブアンドテイクの関係が成り立っていました。但し、五分五分の力関係ではなく、武力による脅しが出来る以上、武力を提供する側が主導権を持っているのは当然かもしれません。権力者がその力関係を最大限に活かせば、民から出来るだけ搾り取る圧政が布かれることも多くあったのです。また、武力で成り立つ権力なのですから、さらに強い武力によって、権力の奪取が行われるのも当然でした。そのような繰り返しが、戦乱を導き、それが行き過ぎると、平常な生産活動が妨げられて、食料等の富が減少し、さらにその奪い合いに拍車がかかります。このような争いの連鎖が断ち切られるのは、絶対的な勝利者が生まれたときです。この勝利者により、国家や帝国というものが出来上がって来たのです。その権力者は国王などとして自身の血族を代々の統治者として君臨するようになっていったのです。しかし、ヨーロッパでは、近代になり大多数を占める民衆が、圧制に耐えられなくなり、革命を起こしたりして、武力で指導者を決めるのではなく、選挙で決めるという民主主義が生まれました。多くの国が選挙制度を取り入れては来ましたが、未だに独裁的な政治が行われている国も多数存在しています。ロシアのように、選挙はあっても独裁者を許容するような国もあります。
現代になっても、庶民の意思がきちんと繁栄される完全な民主主義はまだまだ少ないのです。一般庶民は、戦争などしたくありませんから、本当に民意が反映されれば、戦争は無くなる筈ですが、権力者の意思が独裁的に政治に反映される国があるので、その権力者が戦争をしたいと思えば、多くの庶民の意思などとは関係無く、戦争が起こってしまうのです。
前述しましたように、昔は武力を行使できる権力者と民衆はギブアンドテイクの関係がありましたが、現代では、民衆を守るというのは表面的な欺瞞で、実態は権力者自身の命、地位、富を守る為に、権力者は武力を用いるのが真実だと思います。だからこそ、自国民に多数の犠牲が出ようが、戦争を止めたりしないのです。権力者にとって、自分達特権階級以外の庶民の命など消耗品のようなものなのです。ウクライナの戦地に自国民を送り込み多数の戦死者を出しているロシアしかり、国民の四割が栄養失調状態にあっても、高価なミサイルを撃ち続ける北朝鮮しかり、昔のある程度のキブアンドテイクの状態にあった権力者と庶民の関係より、庶民にとってはさらに理不尽な状態なのではないでしょうか。