カタールワールドカップで、日本代表チームがドイツを逆転で破る大金星を飾りました。カタール現地のみならず、日本各地でも歓喜の輪が拡がりました。反対に、予想もしない敗者となったドイツチームやサポーターの残念な様子も印象深く映りました。ドイツは前々回の優勝チームで、当時の最大の歓喜に包まれたときとの大きな差が、勝負事の冷酷さをまざまざと見てとれました。もちろん、これからの闘いで両国にどんな結果がもたらされるのか、予想の難しさもこのような競技の魅力でもあります。

 いずれにせよ、国家間の争いはスポーツのような共通のルールの下に競い合うのがいいのではと、感じました。勝利を求めての選手やコーチのたゆまぬ努力は我々を勇気づけてくれますが、結果はときの運にも左右されるもので、応援する人達については、その一瞬の歓喜と悲劇に浸ることで終結して、争いとはならず、次回への期待へと昇華されていくものです。いろいろな国家間の対立は、このようなスポーツの闘いが解決のヒントになるのではないでしょうか。つまり、お互いの考えを一方的に主張するばかりでは、解決にはなりません。それの行き着く先は、武力で勝ち負けを決めるとなってしまうのです。スポーツのように、決められたルールの中で、主張点を競い合い、それを第三者が審判として裁定するのです。そのような形が、私の理想とする紛争解決の方法です。国連にルールの設定権と審判の機能を持たせることで、実現できるのですが、現在のような国連の力、仕組みでは無理です。国連の大改革こそ、戦争回避や国境の無い地球規模での災害、気候変動、感染症などへの効果的な対応が可能になる最適な手段だと思います。

 サッカーワールドカップを見ていて、各国はそれぞれ猛烈に競ってはいても、勝者も敗者も平和を享受している姿を見て、ふとそんなことを感じました。

投稿者

弱虫語り部

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