第八波を迎えつつある日本でのコロナ対策は、いったいどこに向かうのか、モヤモヤとした霧の中にあるように感じられます。オミクロン株が主体となり、重症化リスクは小さいとされていますが、連日の死亡者数は少なくありません。一方、実態経済を回さないと生活に窮する人が益々増え続けていくのも見てとれます。このような状況を政府や自治体はどう判断しているのでしょうか。いろいろな施策は出て来ますが、なぜかピンと来ないのは、その前提となる基本方針が明確に伝わって来ないからだと思います。なぜはっきりならないのかは、はっきりすることで、責任の所在も明確になってしまうからなのだと思います。
新型コロナウィルスのような感染症は、簡単に絶滅させることは難しいので、ウイルスとの共存が必要となります。そうなれば、犠牲者もゼロとするのは難しいので、経済を回しつつ、ウィルスからの被害を最少限に抑える方策が求められるのです。これは確かに非常に難しい判断をしなければならないと思いますが、躊躇していては、ウイルスによる犠牲者も経済活動が停滞することでの被害者も膨らんで行ってしまいます。逆の言い方をすれば、どれだけ犠牲者を許容するかと言うことの判断でもあります。だからこそ、一歩間違えれば、大きな責任問題となるのです。責任をとりたくないから、曖昧なまま対処療法を続けて行くと言うのが、今の状態だと思います。
新型コロナウィルスが現れる前では、インフルエンザウィルスは毎年、毎冬流行していました。そして高齢者が中心となって死亡される人も多数ありましたが、ウィルスが直接的に人を死亡せしめたと言うことより、インフルエンザに感染したことで引き起こされる症状が起因して、ある程度重篤な基礎疾患を持つ患者がその疾患を悪化させた末に死亡するというケースがほとんどでした。新型コロナウィルスも同じような感染力、毒性に近づきつつあるようです。そういう事で、感染症の分類を改めることで、医療への負担、経済活動への悪影響を最小限にすることが出来ると思いますので、分類見直しの主張が叫ばれているのでしょう。もちろん、私の持っています知識と情報ではその策が最善かは分かりませんが、政府であれば、最大限の知識と情報を集めることはできるのです。その上で、どうすることが最善なのかを国民に説明した上で進めるべきと思います。しかし、政府が明確な判断をしますと、明確な責任が伴うので、なかなか踏ん切りがつかないのが現実だと思います。誰が見ても判断できるようなタイミングで判断するのであれば、りっぱな為政者は必要ありません。ある程度不確定ではありますが、効果が最大限となる最適なタイミングで判断することが、危機管理としてはベストなのです。
国を動かし、国民の生命、生活を守るとはそういうことなのです。それが政治家の役目ですし、中でもリーダーの重要な役目であります。政治は、選挙のとき綺麗ごとを並べるのが上手いことなど何の能力でもありません。日本、世界の叡智を集めて、最高のリスクマネージメントをしつつ、最後に判断、決断する能力こそ必要なのです。