中国の都市で、市民の抗議デモが続発しています。中国共産党が進めるゼロコロナ政策への不満が爆発したものと思われます。このような動きは、天安門事件以来の非常に珍しいケースだと言われています。香港でのデモの鎮圧にあったように、政府への抗議デモに対しては、情け容赦の無い、大量の市民の逮捕や実刑と言う断固たる処置をとってきているのを見て来た国民にとって、非常にリスクのある行動だったのですが、とうとう堪忍袋の緒も切れたのでしょう。共産党、習近平の退陣を求める声も多くあり、さらに北京では多数のデモ参加者が白い紙を掲げて、自由を渇望する意志を示していました。

 このような状況の中、中国の報道官へのこの事態に対する記者の質問に、「そのような事実はない」と応えていたのにはさすがに驚きました。何たる不遜、都合の悪い質問には知らない、記憶に無いと答えるどこかの国の政治家と同じですね。誰が見ても明らかに嘘と分かることを、政府の公式の報道官が顔色ひとつ変えずに言いきる態度に、背筋が寒くなる思いがしました。そう言えば、ワールドカップの映像で、多くの観客がマスク無しで声援を送っている場面は、差し替えたり、ボカシを入れたりされているようですが、自分達に都合の悪いものは隠すという基本方針が貫かれているようです。

 中国国民も馬鹿ではないと思います。一党独裁と言う絶対権力を持っているからと、どんなに情報統制、操作、嘘の報道をしても、国民の不信感につながって行っているのだと思います。それを暴力や逮捕という恐怖で抑え込もうとして来たのですが、それをも恐れずに市民達が行動したことに、彼らの勇気と人間に本来備えられるべき自由への熱望を強く感じられました。

 しかし、恐れているのは、このような真っ当な国民の行動が武力で潰されることです。本来は、国民、市民を守るべき政府がそのような暴挙に出ても、何の罪にも問われないのが、独裁国家の恐ろしさです。ただでさえ、どんな人間でもミスを犯すのに、独裁者は絶対自分の過ちを認めません。それどころか、その事実を指摘した正しい人間を罰するのです。

 どんな国でも、独裁を許さないような社会の仕組みを作ることが非常に重要なのですが、民衆はときとして、非現実的な英雄を求めて、独裁の怖さを忘れてしまうのです。完全な人間などこの世に存在しないのです。人はそれぞれが持つ長所を集約し、それぞれが持つ短所を補い合うような社会の仕組みを作ることが最善な選択であることを忘れてはいけません。

投稿者

弱虫語り部

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