国会では旧統一教会の被害者救済法案が検討されています。今回のように法的に被害者を救うということが必要であると思いますし、政府、自民党としても、多くの国民の声から何らかの法律を作らないとどうしようもない状況に置かれていると思いますが、内容が抽象的で曖昧であることに懸念を抱く意見も出ているようです。これについては、与党、公明党が関与する限り、そうならざるを得ないと思います。公明党のバックにある創価学会にも影響のある法律ですから、当然、公明党はその影響が創価学会に及ばないような内容にしたいと考えている筈です。創価学会でも、信者からの献金が大きな財源の一部であることは間違いないことです。と言うよりも、どんな宗教でもその活動を維持する為にはお金が必要なのは当然ですので、献金自体を禁止することは出来ないのは当然ですが、問題は、献金のやり方なのです。ここで法的に具体的な線を引いてしまうことで、宗教法人の財源の規模が限定されることになってしまい、多分、そのことで今ある収入の減少につながってしまう可能性があるので、明確な条件付きは認められないというのが、公明党の本音だと思います。

 このような構図が存在する以上、なかなか明確な線引きの入った法律は作れないのでしょう。自民党も公明党の顔色を伺いながら、話を進めて行くのですから、この構図を度外視することなど出来ないのでしょう。

 本来、政治は、憲法で規定された政教分離を建前としているのですが、公明党の存在が、実体としてその精神を骨抜きにしているのです。公明党は、国民全体の為の政治を行うことが理念であり、創価学会は単なるひとつの支持団体であるだけで、特定の宗教の為に活動している訳ではない、と言うことで政教分離に反していないと主張して、政府もそれを支持して今日に至っている訳です。

 もし、それが真実であるのなら、今回の問題も、創価学会に忖度する必要は無い筈ですが、裏ではそうなっていないような気がします。今後、もし被害者救済法が抽象的で抜け穴のあるザル法として出来上がったとするならば、自民党が公明党とその背後の創価学会に忖度した何よりの証拠だと思います。しかし、公式では、絶対そんなことは無いと強弁するのもいつものやり方でしょうね。いずれにせよ、この法律の内容こそ、政教分離遵守に対する踏み絵なのだと思います。