ワールドカップサッカーの決勝トーナメント一回戦で、日本は残念ながら、惜敗しました。しかし、今回のプレーで、見る者に多くのものを残してくれました。
クロアチア戦を終えたとき、多くのプレーヤーが泣いていました。簡単には言い表せない感情から来るものだと思います。その涙を見て、彼らは非常に幸せなんだなとも思いました。幼い頃から、サッカーに打ち込み、今日、華々しい世界の頂点を争う場で、負けたにしても、精一杯やり遂げた上での、悔しさやいろいろな事がない交ぜになった涙だと思います。このような感情が湧き出るくらいの涙は、誰でも流せるものではありません。私は幸せになる要素の中で、人生で打ち込めるもの、苦しくても、辛くても、頑張れるものを見つけることも非常に重要な要素だと思っています。そういう意味で、世界の頂点には届かなかったにせよ、日本の代表として、ひとつのことに打ち込み、多くの人々に感動を与えられる活躍を出来ること、非常に幸せなことだと思います。
このような華々しいことだけではありません。我々が日々生きて行く中で、充実感を感じること、だから辛くとも苦しくとも頑張れるものを持っていることがそのひとの人生に大きな幸福感をもたらしてくれるのです。それはひとりひとり異なるものなので、いつ出会えるかも分かりませんが、常に追い求めていて初めて辿り着くものなのです。今回のサッカーのように、幼い頃から打ち込み、それに対する才能が芽生えて行くものもありますが、ほとんどのひとはそのような見つけ方が出来ない方が普通かもしれません。だからこそ、それが何なのか、常に追い求めていかなければならないのです。出来たら、それでお金が稼げるのであれば言う事はありません。
今の社会では、良い学校に入り、良い会社に入ったり、難しい資格をとったりすることで、一生楽に暮らせることが、一般的に多くの大人達が子供達に求めることです。しかし、そのような型にハマったもので誰でも幸せになれる訳ではありません。そのひと自身が、辛く、苦しくとも打ち込めて、そのときどきに得も言われぬ充実感を感じることが出来るものでないといけません。それは世間が決めるものではなく、自分自身でしか決められないものなのです。そのことを忘れずに、いろいろなことに挑戦してみてください。その中にきっと自分だけの打ち込めるものが存在している筈です。人がどう言おうが参考にはしても、言いなりになる必要はないのです。
ほとんどのひとの幸せの対象は、今回のサッカー選手のような華々しいものではありません。しかし、それでいいのです。自分の心に正直に向き合ってください。決して、他人と比べたりするものではありません。自分だけの幸せのものさしで、これからいろいろと経験するものを測ってみてください。