ワールドカップサッカーカタール大会もいよいよ後4試合を残すだけとなりました。決勝トーナメントはノックアウト戦と言うように、勝者と敗者しかありません。このひとつの戦いだけではっきりとした結果が出ます。敗北した監督、選手はその結果を潔く認め、カタールを去り、次なる目標に向けて進み出します。

 一方、政治の世界はどうでしょうか。前回の米国大統領戦では、トランプ候補が敗戦を認めず大混乱したのは記憶に新しいですね。このケースは結果が明確なのに、その結果を否定するというあまり例を見ないケースですが、そこまで行かなくとも、日本の政治家達も、自分が起こしたミスや失言、不祥事などをなかなか認めようとしません。政治の世界では、サッカーの試合のように、黒白がはっきりと結果として出る事はほとんど無いので、なおさら、非を認めないで、結果が明確になるギリギリまで、自分は間違っていない、正しいと言う立場に固執するのです。それにより、国民に対していろいろな不都合が生じようがお構い無しなのです。自分の地位を守ることが先決なのでしょう。分かり易い例を示したいと思います。第二次世界大戦終盤で、ドイツ、イタリア、日本の三国同盟側の戦況が不利に傾いていきますが、挽回に向けていろいろと手を尽くしても、どうしても形勢逆転が敵わないのが明らかになって来ます。それでも、権力者達は、無謀な作戦を行い、さらに多くの国民の命を犠牲にしました。結局、独裁者であるムッソリーニ、ヒトラーが死ぬまで、日本では原爆が投下されるまで、その蛮行が続いてしまうのでした。このように、権力者である政治家の未練がましい判断によって、死ななくてよかった筈の尊い命が多数失われてしまったのです。これらは極端な例ではありますが、現代の日本で起こっている政治家の行動の根本は同じ所にあります。国民より自分のことを一番大切にしているからなのです。

 本来、政治とは、国民、市民の生活と安全を守ることが最重要であるべきですが、多くの政治家は、自身の富、特権、名声などを優先して、その結果、国民に犠牲を強いることになっても自己弁護的な行動に邁進するのです。

 政治に関わるいろいろな行動は、サッカーなどのスポーツと違い、何が正しいのかはっきりしないことが多々あります。だからその不明確さに付け込んで、政治家は、己の地位、権力の維持に未練がましく執着するのです。そのことでどれだけの国民に不利益を与えているのか、客観的に考えられない政治家が多いのでしょう。だから、この対極にある、明確な結果の為にすべてを捧げるサッカーなどのスポーツにこんなにも感動してしまうのです。

 我々の生活はそのような政治家達に翻弄され続けています。もっと悪い状況になれば、生命の危機に晒されるかもしれません。このような不都合な現実を充分に認識して、政治を監視していかなければなりませんし、そのような行為を断固許さないことを選挙で示すべきだと思います。

投稿者

弱虫語り部

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