テレビドラマの「最愛」が完結しました。なかなか見応えのあるドラマでした。テーマはタイトルにある最愛ということですね。ひとはそれぞれの最愛のひとのために生きているというようなドラマです。美しいテーマではありますが、現実では最愛とは何か、最愛のひととは誰かということを明確に示すことができないひとが多いのではありませんか。一般的に、恋人、配偶者、子供、孫、親友などを指すのでしょうが、最近の事件を垣間見て思うのは、他人より自分自身を異常に愛していると思えるようなひとが多く出てきます。もちろん、人間も生物ですから、自己愛があるのは当然ですが、痛ましい事件を見ますと、どうして自分の怒りやプライドにそこまでこだわるのか、それを爆発させて何が得られるのかと言った客観的な視点がそういう人達には欠如しているように思えてなりません。あまりにも自己愛が強いと、他人を愛することや、ましてや許すことが出来なくなって来ます。そのことで、さらに最愛なるひとが出来なくなってしまいますし、また、最愛なるひとがいないと、ひとは他人に優しくなることも出来ません。人間はひとりでは生きていけないものなのですが、なかなか他人とうまくやっていけないひとも多いように思えます。そのことでさらに、自分を卑下したり、他人を馬鹿にしたり、他人を妬んだり、恨んだりするのです。これは一種の悪循環なのですが、このループに入り込むと、なかなか脱出できないのも事実です。自分の独りよがりの義憤や怒りで、他人を傷つけることは論外ですが、その感情を内側に向けて、自殺、自傷行為に及ぶひともいます。他人を許すことが出来れば、自分自身も許すことが出来ます。自分自身を俯瞰して見られるようになると、他人との関わりをより客観的に見ることが出来るのです。完全、完璧な人間はいません、欠点もあるし、弱い所もあるし、ミスもします。自分自身も他人も、そのようなひとであるということを深く理解することが第一歩です。そうすれば、他人の立場に立って、ものが考えられます。そうすれば、他人との関わりが衝突ばかりではなく、仲間同士であるという意識が芽生え、その延長線上に、好きだとか愛するとかという感情が生まれて来るのです。一度、自分自身のプライドや考え方などを捨てて、他人のことに耳を傾けてみませんか。独りよがりの愛情は、これはまたこれで問題ですが、好きと感じるひとが笑顔になることに幸せを感じることができれば、その笑顔を見るために自分は何をしたらいいのかという観点が生まれ、それが独断的な感情を潰す力になります。これが最愛だと思います。