NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は北条義時が亡くなってエンデイングを迎えました。その後、息子の北条泰時が執権を引き継ぎ、北条氏執権体制を盤石なものとしました。その要因は、承久の乱で後鳥羽上皇に組した多数の西国武士の所領を軍功のあった東国武士に恩賞として分け与えて信任を得たこと、有名な御成敗式目を制定し、武士の行動を規定したことなどが挙げられています。泰時執権の時代は比較的平穏に過ぎたのでしたが、彼の没後、そのような安寧な時代は続かなかった事から、泰時個人の優れた能力、人格も大きな要因であったかもしれません。
これらのことから思い起こされるのは、いくら優れたリーダーであっても、その後継者達の人格、能力により、血縁体制を維持するのは難しいと言うことです。そのことは、徳川幕府の家康が苦慮した点でもあり、自身の子孫がどうあれ長く血縁体制が続くように、法、制度を整えたのでした。確かに、そのことが功を奏して、徳川幕府は15代、260年続いたと言えますが、いずれにせよ終わりを迎えることになりました。このことからも、リーダーを限られた一族で独占することは無理があり、生まれなどに関わらず、リーダーたる能力を持ち、万民に認められるものこそが求められるリーダーであるべきだと示唆していると思います。
次に、軍事政権を維持する為には、軍事力を持つ有力武家から支えられなければなりません。泰時の時代であれば、御家人、地頭と言う者達でありますが、彼らが命をかけて戦ったり、地方統治をするのは、彼らの一族の繁栄があってこそですが、そう言う意味でも、所領が拡大すると言うのは重要なのです。大きな戦さがあったときは、必ず敗者があり、勝者への所領配分が可能になり、それで武家が満足して、そのときの体制が維持される訳です。戦国時代は、まさにその繰り返しであったのです。織田信長が勢力を拡大し、多くの武家を配下にしたり、豊臣秀吉がその後を継いで、日本全国に勢力を拡大して行った訳です。しかし、日本全体を平定してしまうと、配下の武家にさらに与える所領が無くなってしまいました。秀吉の朝鮮出兵は、それを打開しようとしたことも大きな目的であったのです。戦争と言うのは、一部の者達が、他を武力で屈服させ、そこから富を奪い盗り、一族、配下に配分することで、成り立っていた部分もあったと言うことです。そして、そのようなやり方に頼らずに政権を維持しようとしたのが家康でしたが、やはり支配する側と支配される側の構図を崩さずに維持しようとするのは、無理があるのです。これを打破するのが、全人民による富の分配です。皆が他者を認め、他者との調和を常に図りながら、いかに限られた富を効率良く生み出し、うまく分配していくかを進めて行くことで、平和を維持しながら、個人個人の幸せ探しを支えていくことが可能なのです。