ワールドカップサッカーカタール大会が終わりました。決勝戦は大変見応えのある試合となって、この大会の盛り上がりをいっそう引き立てたようです。内容は、両エースストライカーがゴールを演出し、その卓越した力と技術を存分に披露し、また延長戦でも決着がつかない白熱したものでした。特に、ワールドカップの特別なことは、優勝トロフイーを獲得する為に、必死にプレイする選手達の姿は大変に心を打たれるものでした。もし、多額な賞金が無くとも、選手たちはこの栄誉があれば、懸命に戦うであろうことが感じられました。彼らはプロ選手ですから、普段は少しでも多くのお金を手に入れる為に戦っていると思いますが、それを超越した姿を見られるのは、やはりこの大会の最大の魅力だと思いました。それだから、見ている我々にもなかなか普通では感じられないような感動体験が出来るのでしょう。
お金と言うと、プロサッカーは世界で最も多くのお金が動くスポーツです。メッシもエムバペも所属チームからの年俸やスポンサー収入を合わせると200億円近くになるそうです。エムバペはさらに、2025年までの三年契約を交わしたそうですが、その総額が三年で約920億円だそうです。日本人の平均年収は500万円に満たないのですが、これらの選手は一人で平均的な日本人の4000倍以上の収入を得ている訳です。確かに、多くの人を魅了するプレイが出来る卓越した技術や精神を持っていて、それに絡み多くの金を生むということでそれだけ支払ってもペイするのがビジネスの原則かもしれませんが、やはり、ビジネスという観点だけで人の価値を決めてしまう現代の経済原則は異常だと思います。地球の何割かの人達が飢えに直面している現実を考えれば、やはり異常な格差だと言わざるを得ません。彼らは多額な税金を払っているのも事実ですが、それを差し引いたとしてもこの格差が半分に縮まるくらいですし、メッシに至っては、スペインの最高裁判所から、脱税の罪で有罪判決を受けています。
私が言いたいのは、世界の貧困問題を棚上げにしてビシネスマネーを追い求めるだけの今の経済システム、社会システムはまだまだ未熟だと言うことです。一部の人間だけ裕福に暮らし、自分さえ良ければいいと言うことが通用する世界には、争いの種が蔓延し、本質的な平和など存在しないからです。新ハルモネア主義でお伝えしていますように、私は、共産主義のように一律的な平等が必要だとは思いません。人の創造や努力や頑張りによって、評価、収入に差がある必要があると思いますが、現在のように青天井では貧富の格差は拡がるばかりなので、それはある程度の範囲に限定した差とするべきだと考えているのです。
今回、メッシが家族をカタールの一軒家を借りて滞在させ、その賃料だけで1800万円だったと聞きました。彼の年収だと、我々の感覚で数万円を使ったようなものだと思うと、やはり何かおかしいと感じざるを得なかったのです。今はどんな贅沢でも叶えられる世界なのですが、それが本当に正しいのでしょうか。人はひとりひとり個性も生き様も違いますので、行き過ぎた平等は間違いですが、かと言って、真面目に生きているすべての人がある程度の豊かな暮らしが出来る社会の方が、争いが少なく個々人の幸せを許容出来る世界の土台となると思えてしようがないのです。