今日は成人の日です。成人達成年齢が変更されたことで複雑な感じもしますが、この世に生を授かり、今日まで無事に成長されたこと祝福したいと思います。
 
 私が成人の日を迎えたときは随分昔のことで、また当時忙しかったことで、成人式には参加しなかったのですが、その当時の心境は今でも思い出されます。

 色々な場面で同世代の人々の言動や行動に触れたとき、自分が彼らに遅れをとっているのではないかと言うような自信の無さ、将来への不安を感じていました。今思いますと、そんな漠然とした不安は多くの若者が感じていたようです。でも、他人はそのような不安の心をあまり表には出さずに、自信のある言葉を発して、カラ元気を出していた人も多く、その表面的な部分だけを見て、前述したような心情を持っていたのだと思います。

 当時、これからの長い人生をどのように生きて行けば良いのかあまり明確になっていなかったことが、不安の核心だったと思います。今とは違い若かったので、健康についてなどは不安が無くと言うか、ほとんど考えていなかったのですが、ただ、どのようにして食べていくのか、何を目的として仕事をしていくのか、何をしたいのかと言ったことが全く定まっていませんでした。今思いますと、幸せの物差しが見つかっていなかったのです

 この後、長年に渡って少しずつ、不安の解消に向け、行動していくのですが、その後すぐに、恩師の言葉で少し楽になったことがありました。その方は私から見れば、ある分野で世界的に名の知れたいわば雲の上の存在でしたが、ある時、彼から「自分も若いときは心配なことが多く、それに長い時間を消耗させられていたが、今思うとほとんどが的外れな心配で、無駄なことをしたと思っている。君もあれこれ不安を抱えているみたいだけど、そんな事に無駄なエネルギーを割くことは無いよ、今持っている自分の力を信じて、目の前の課題にぶつかっていくだけでいいんだよ。」と言われました。そうなんだ彼のような成功者は若い時から不安も無く人生を突き進んでいたのかと思っていましたら、そうではなかった驚きと、彼でも不安に苛まれていたのだから、自分がそんな気持ちになるのは当然だと、少しホッとして、心が軽くなったことがありました。

 将来が見通せない不安は、どんなひとであっても未来を見通せないのだから、若者にとって当たり前の気持ちなのです。そんなことより、今の自分を信じてみようと考えるべきです。その為には、自分がどんな人間であるかじっくり考えることから始めるのです。その中で、自分のどこを信じるに足る部分か、どこがひとより少し優れているとか、これはひとに負けない、これに打ち込んでいるときは時間を忘れて頑張れるとか、辛いことでも耐えられるとか、いろいろ過去の事象を思い起こし、また、今、いろいろなことに挑戦して、そのようなことを探し続けていくことなんです。その片鱗を少しでも見つけられたと思ったら、何を勉強したら、何を修行したら、それにはどんな学校に行けば、どんな仕事をすればもっとその部分を磨くことが出来るのかを考えて、自分の進路をそちらに舵を切るのです。このとき、世間やひとの評判などはあまり気にしないことです。自分が納得いくのなら、他人が何と言おうと、それでいいのだと思うのです。口で言うのは簡単ですが、私のような弱い人間はすぐ他人のことを気にしてしまいます。しかし、自分の人生は自分で決めると強く思うのです。そのときこそ、自分を信じるのです。誰でも、異性にもてたいとか、他人に勝ちたいとついつい虚勢を張ってしまうのですが、偽りの自分を飾り立てるより、自分の本当にしたいことに突き進む方が、素敵な異性とも巡り合え、他人に誇れる結果を出せるようになるのです。それは後について来るのです。

 さあ、これから、自分を信じて、幸せの物差し探しを始めましょう。