前回のブログで、植物の10億年の進化による究極の平和的行動、共生についてお話しました。もともと植物の生きる為のエネルギーの源は、太陽光、大気、水、地中に存在する栄養分などです。もともと、植物は生物間でのあからさまな競争が起きにくい行動をしていました。それに比べ、人類も属する動物の世界は、太陽光、大気、水以外は植物や動物の捕食をもって生存エネルギーの源泉としているので、他の生物を殺すような競争的な行動がメインになって来ます。さらに人間は同種間の競争、殺し合いによる富の奪い合いで、捕食目的以外の殺戮も行う数少ない動物です。そのような非平和的状況に陥りやすい人類ですが、やはり究極の形は、植物のように、殺戮よりは共存を目指すべきだと思います。植物が人類の歴史に比べ途方もない時間をかけて、今のような共存体制を築いたことを考えますと、これからの長い時間で、広く人類全体に及ぶ共存関係を構築することが我々に課せられた使命だと思えるのです

 但し、心配もあります。人類が生み出した科学技術が制御不能になって、人類を滅ぼしてしまうことです。軍事戦力に頼ってばかりいる世界の大部分の国々が結局は破滅の道を進んで行っていることが、将来の大きな心配なのです。そう言う意味でも、いち早く、植物などの進化を参考にして、地球の中での人類の進化の最終地点をイメージして、その共通理解をするべきで、その為には、何かあると殺し合いで解決しようとする現在の各国のリーダー達ではない賢者達が国連に代わる話し合いの場を設定する必要があるのです。もちろん、大部分の人間が、そのことを支持しないといけません。と言って、残念ながら我々はもしかしたらそれを現実化出来るような段階まで、成熟していないのではないかと思います。

 結局は、今の人類は、破滅か共存かと言う簡単な判断する出来ないくらい、己のことしか見えない愚かものなのかもしれません。映画の世界のような楽観的なシナリオでは、人類は破滅の前に、驚くべき進化を遂げて、利己主義ばかりの現人類に代わって利他主義の新人類が世界を席巻するのでしょうが。

 今回は地球誕生以来の生物の歴史に思いをはせていましたら、人類の目指すべき姿が明確になっていると感じたのですが、今の世界はそれとは全く逆方向に動いているのではないかと、悲観的になって、ついつい愚痴ともとれる内容となってしまい、申し訳ありませんでした。

投稿者

弱虫語り部

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