この世界には様々な差別が存在しています。民族、宗教、主義、地域、貧富、男女など様々な捉え方の中に差別と言うものが存在します。いつも言っていますように、人間も生物学的に自身および自身の遺伝子を守ろうとする力が働いています。これを単純に理解してしまいますと、表面的に自分と利害関係が一致するものとは協力関係を築き、反対に利害関係が反するものとは反目しようとする傾向があるのです。そこで同種の者同士の結束をより高めるために、異種の者を差別し、排除しようとするのです。

 単純な考え方に陥るとこのような思考が中心となり、差別があたかも正当なことのようになってしまいます。しかし、真実は、人は一人一人異なっています。それなのに、ある一点だけを見て、それですべて正しい/間違い、良い/悪い、などと決めつけてしまうのです。そうです、偏見を持って判断をしてしまうのです。冷静に考えれば、そんなことですべてが決まる訳はありません。それなのに、例えば、彼はウクライナ人だからネオナチ思想を持つ悪い奴だ、彼はロシア人だから正しいのだと決めつけることは大きな誤りなのです。プーチン大統領は、そのことをあたかも真実のように国民に訴え、だから、敵対するウクライナ人を殺してもいいと思っているのです。このような人の括り方は、実は権力者の都合のいいようにどうにでもなるのです。本音は自分に敵対するものはすべて排除しなければならないと思っているのだと思います。そのことを隠してウクライナを悪者とするプーチン大統領の言葉を信じてしまう国民は、ウクライナ人は殺しても仕方ないと、偏見を持ってしまうのです。

 偏見から来る差別はありとあらゆる所にあります。かつて、日本人は朝鮮人は劣っている、悪い人間ばかりだとする作られた偏見を信じて、在日朝鮮人を差別しました。逆に、現在では、韓国での教育で、日本人は朝鮮民族を虐げた悪い人種だと、偏見を植え付けています。米国でも建国時代には、アフリカ人は知能が低いので、奴隷にして肉体労働で牛馬のように働かすのが当然だと考える人が多かったのです。しかし、アフリカ系黒人でも、きちんとした教育を受ければなんら白人に劣ることが無いと言うのが明確になっています。いずれも、一部の権力者が自分に都合の良い偏見を国民、市民に植えつけて、差別対象を作り、国民をコントロールして、敵対するものを排除、抹殺、奴隷化しようとして来たのです。このような例は歴史の中に溢れています。

 まとめますと、人間は生物的にも自己防衛本能から自分や家族を中心にものを考えます。単純な思考でこの考えを進めますと、自分に都合のいいように他者を分類し、一見自分達に利すると思うものや自分達に従うものとは共同体を作り、反対に利害が反するものは敵とみなし、一旦敵とみなしたら、偏見で彼らを見て、彼らのすべてを悪と規定して差別し、排除しようとします。

 このような人間の愚かな習癖で、どれだけの人達が差別され、間違った偏見を持たれ、虐げられ、殺戮されて来たのでしょうか。そのような社会では、一部の人間のみが好き放題に生きて、ほとんどの人達は普通の幸せも剥奪されて来たのです。この社会を反面教師とすれば、そこに多くの人が幸せを感じられる世界を作ることが出来るのです。「新ハルモニア主義」とはそう言う発想から考えて来たことなのです。

 ひとりひとりの個性を認め、お互いを尊重すれば、人を一括りにしてそのすべてを否定するような偏見は出て来ない筈です。どんなひとでも、利点もあるし、欠点もあるのが普通で、欠点だけにスポットライトをあててすべての人格を否定することなどあってはなりません。もし自分がそのような偏見で見られ、差別されたとしたらどんなに辛いことか、想像すれば簡単にわかることなのに、偏見を信じて、人を差別するのはこのような真実を充分理解せず、他人の立場に立って考えることをしようとしないからなのです。そして、この偏見と差別を、権力者が自分の権力と富を守る為に利用しているのも気付いて欲しいのです。