小中高等学校の教員採用試験の受験者数の減少が続いています。長時間労働や残業代ゼロなどの問題を就職を控えた若者に敬遠されているからと言われています。確かに、労働環境の改善は必要だと思いますが、それだけの問題でしょうか。
私は、特に長期的な観点で、教育は社会を良くする鍵として非常に重要なものであると思っています。このブログでも教育改革を何度も取り上げています。それは教育によりどのような人材を育てるのかと言う目標や教育の内容等教育システム全体を対象にしています。もちろん、教師の質の問題も大変大切な問題だと認識しています。教師と言うのは、生活費を稼ぐ為が主目的である(理想はどんな職業であっても、金儲けの為より、その職業に打ち込むことで充実感を感じることが一番だと思いますが)民間企業の社員になるのとは大きく異なっていると思います。つまり、多くの子供達を育成することは公的な意味合いが強く、社会に奉仕する職業であるからです。教師以外に、医者、政治家、法律家なども先生と呼ばれるのは、これらの職業は社会や国民に奉仕することが求められるからなのです。だからと言って、心身を病む程の過重労働を見過ごしてはいけません。そういう意味でも労働環境の改善は必要だと思いますが、そのことで教師志望者を増やそうとすることには何か違和感を感じます。教師の行動、言論は子供達の人生に大きく影響するやりがいのある仕事だからです。そうだから、一般のサラリーマンと同じように金稼ぎを目的と割り切ってやれるような職業ではありません。つまり、人を育てることに真剣に打ち込める人でないと務まらないと思います。労働環境がどうだからと自己中心的に教師になることを躊躇するような人には教師になって欲しくはありません。どのような環境であろうが、生徒達の育成を一番に考えるような人が必要だと思います。そのような貴重な人材が心身を病むようなことが無いように、教師の労働環境を改善するのが筋であり、教師志望者を増やす為にすることではないと思います。それより、教育という聖職に殉じたいと考える人材をいかにして、教師に採用することを考えることが重要なのです。その為には、大学、大学院の成績や採用試験の点数より、教育実習での適性判断を実施すべきだと思います。
さらに、志望者を増やす為には、旧態依然とした教育界を改革することが一番決め手となるのですが、現在教育界を牛耳っています、政治家、文部科学省、教育委員会がこのことを自覚していないことが大きな問題なのです。今のような教育システムに胡坐をかいて、その既得権益を享受している人達に任せていては、本当にひとを育てたいと熱望している人材が教師を目指すこと、さらに彼らを採用することは難しいのです。教師への適性の高い人材を教師志望に駆り立てることが大変難しいことに対する本質的な問題はここにあるのです。