新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
今年の正月は寒波が到来し寒い日々が続いていますね。温暖化が叫ばれて久しいですが、地球規模の自然の営みは、まだまだ人類の考え及ばないところにあるのでしょうか。
その地球には、あまりに多くの人類が存在しています。その中で、多くの差別、偏見、争いが渦巻いています。私の信条は、男女、年齢、国籍、民族、宗教など一派ひとからげで、個々のひとを決めつけることはしたくないということです。と言って、すべてが同じであるとは思っていません。例えば、男女平等と言うことが、いつも問題になっていますが、生物学的に男と女は違う機能を持って生まれて来ます。肉体的な差は、どうしてもあります。だから人類平等を謳うオリンピックでも、男女は別々に競技するものがほとんどだと思います。その違いを認め合った上で、お互いフォローし合い、尊敬し合う関係だと思います。もっと細かく見てみますと、人間はその他の動物や生物とは明らかに違いますが、個々に人間を見回しますと、みんなそれぞれ違う個性を持っています。だからこそ、大事なことは、自分と他人の違いを認識した上で、それぞれお互いを理解し合い、助け合うことが必要です。この考え方であれば、他人を差別するようなことはありません。女性が力が弱いからと言って、男性が偉いわけでもありません。力の部分では、男性は女性を助ける位置にあると思います。同じ男性間でも同じ構図があります。強いひとは、弱いひとを守るように、得意の分野で、他人の為にその能力を活用するということなのです。ひとはそれぞれ長所と短所を持っていて、それが多くのひとで複雑に異なっています。すべて平等とするのは無理があります。小学校などで、運動会の徒競走で優劣をつけないということは土台事実に反します。足が速いひとも、歌を上手く歌えるひとも、算数ができるひとも、絵を上手く描けるひとも、みんないろいろな点を見ますとそれぞれの長所を持っています。足が遅いひとや、運動神経が悪いなどと言って馬鹿にするのは可笑しなことなのです。短所はみんな持っていますが、たまたまそれが運動が苦手というだけなのです。だから、個々の点で優劣があるのは当たり前のことなので、馬鹿にしたり、差別したり、いじめたりすることなど出来ないのです。人間は、目立ったひとつのことが優れていたり、権力があると、全人格的に他人を見下すひとがいますが、それがいじめやパワハラや様々なハラスメントとなるのです。例え、会社で上司であるからと言って、すべての点で優れている訳ではありません。だから部下の優れていることに光を当てれば、部下を認めて、尊敬することもできるようになります。年上や目上のひとにある程度の尊敬の念は、社会の習わしとして必要と思いますが、それ以上の関係性はありません。なのに、その上下関係をひけらかすひとも多く、それがいろいろな問題の種となるのです。
ここで話をまとめますと、
1. 男女、年齢、国籍、民族、宗教などで画一的に個々人をくくらない。
2. どんなひとでも、長所と短所の両方を持っている。
3. 短所だけでひとを評価しない。長所を探してそこに光を当てる。
4. そうすれば、すべてのひとを尊敬できる対象として、差別したり、いじめたりすることは無くなる。
5. 自分自身も他人から認められ、その部分をさらに高めて、他人の役に立てるようなやりがいとする。
6. 理想は、お互いを認め、尊重し合うと、すべてのいざこざ、争いは無くなる。
私自身はこのような考え方で社会生活をして来ましたが、もちろん、感情的、生理的に好き嫌いというものがあるのも事実です。その部分は、プライベートの生活では、そのように感じるひととはなるべく積極的には付き合わないようにしています。しかし、仕事などのように、どうしてもそういうタイプのひとと関わらないとやっていけない場合は、感情的、生理的な部分は横に置いて、前述した6項目に従ってひとと付き合って来ました。その結果、仕事においても、自分一人の力以上の成果を得ることが出来ました。仕事や団体行動では、グループ全体の総合力が重要で、この総合力を最大化するには、これまで述べて来た考え方が必要だと思っています。