我々人類、ホモサピエンスは数十万年前にこの地球に現われて、気の遠くなるような長い月日を隔てて、約一万年前に文明が創出され、発展するようになりました。しかし、現在のような科学技術が進展したのは、近代の数百年前まで待たなければなりません。特にこの百年間の科学技術の進歩は目覚ましいものがありました。それにより、人類の生活は一変しました。高速の移動手段が開発され、感覚的な地球の広さは非常に小さいものになりました。また、医療技術も進み、致命的だった多くの病気が克服されて来ました。コミニュケーションの点でも、インターネットを介した通信手段により、あらゆる情報が瞬時に世界を駆け回ることになりましたし、AI技術、ロボット技術などがこれからの人類の生活を一変させることになるでしょう。
これほど迄の科学技術の進歩が本当に人間を幸せにして来たのでしょうか。快適で便利な生活や、豊かな食生活、多くの娯楽、趣味、高度な医療受診など、かつては一部の権力者、富裕層に限定されていた生活環境が、多くの人達も享受できるようになって来たのは確かですが、これ程迄に科学技術が発達しても、まだまだ貧困や飢えに苦しんでいる人達も多く存在しているのも事実です。また、科学技術が武器など軍事技術をも大きく発達させ、核兵器はもし本格的に使用されれば人類を滅ぼす程のレベルにまで到達してしまいました。
これらのことを考えて見ますと、非常に高度に発展した科学技術も、使い方次第で、人類に対して、幸福にする道具でもあり、不幸にする道具でもあるのですが、その使い方を左右する哲学や経済学、政治学、社会学、法学などの人間の行動を律する学問が科学技術ほど実用化されていないとも言えるのではないでしょうか。そういう状況のもと、個々の人間の欲望や勝手な思い込みなどによって、社会が、そして善良な人々の生活が掻き乱されてしまうのです。
科学技術の発展が多くの専門家の多大な尽力によって為されて来たように、人類を幸せに導くことを追求する学問や技術に多くの人間の叡智が結集されて、それらを専門的に修得した人が、政治家、経営者、官僚、教育者、法律家、医師などに就く社会が私の理想です。
人間が制御出来なくなる程発展した科学技術ですが、それは社会が個々の人間の欲望を制御できないのと同じように、きちんとコントロールできなければ人類全体の幸福を妨げる諸刃の剣となるのです。そして、科学技術のコントロールには人類全体を幸せにすることを目的とした考え方が必要なのです。