NHKテレビの歴史探偵と言う番組で、約二千年前のローマの黄金宮殿をテーマにした回を観ました。この建物は、暴君と言われた皇帝ネロが建立したもので、大型のコンクリート様石造りの豪華な宮殿で、中には、黄金の由来となる太陽の光を幻想的に取り入れ黄金色に光輝く場所や、水力で回転する食堂など、その当時の技術力の高さに驚愕するばかりです。同時期の日本は弥生時代で竪穴式住居の時代だったことを考えますと、ローマ帝国の文化がどれだけ進んでいたのかが分かると思います。ちなみに皇帝ネロは16歳の若さで皇帝に就き、先進的な治世により賢帝と呼ばれたこともありましたが、母親や側近、元老院との確執で、暴挙を繰り返し、暴君ネロとして有名ですね。しかし、真実は良く分かっていなくて、皇帝ネロの死後の皇帝達により悪名を着せられたという説もあります。
いずれにせよ、後年、発掘された黄金宮殿の遺跡から、この時代の建築土木技術の高さは間違いないようです。古代文明は、地中海周辺のエジプトやギリシャからローマへと続き開花したものですが、二千年も前の人類がこのような技術を持っていたことを考えますと、人間の知恵の凄さに感嘆します。二千年の前にこのような状態であったのですから、現在の科学技術の発展は当然のように思います。しかし、それなのに人間の精神の成熟度はそんなに進歩していないとしか考えられません。それは、未だに人間同士の殺し合いが続いているからです。ローマ帝国時代にあった争いの状況と現代の地球に存在します紛争と、レベルの低さで言うと同程度ではないかと思います。もちろん、近代に起こった民主主義の波は、古代では考えられないような底辺の民衆の人権、人としての尊厳がある程度守られるようになってはいますが、残念ながら、まだまだ多くの国々で古代と変わらないような一般民衆、弱者への人権軽視の状態が続いているのです。
以前のブログ「263. 科学技術の進歩と幸せの関係」でもお伝えしましたように、人類が気の遠くなるような時間、弛まずに科学技術の発展に尽力して来たことと、協力し、助け合って生きていくことより、自分の主張、欲望に固執して争うことから抜け出せないこととの対比をどう考えたら良いのでしょうか。
私から考えれば、答えは明らかなのです。科学技術進展に携わる人間は一部の例外を除き人間の生活向上を目的に尽力することに対して、政治家など権力者はどの時代も権力と富を目的に一般民衆を支配するからなのです。本来、人間は完全ではないので、人の上に立つ立場の人間は、その権力の大きさ故、謙虚で、自己を律することが出来るひとでないといけないのですが、歴史的にそのような人がリーダーになることが稀だったからなのです。
理想は、AEタイプの人がリーダーになるべきなんですが。