権力者は愛国心を唱えます。国の為に武器をとって戦えと。これは今もあちこちで見られる戦争を正当化し、国民を戦争に送り込む常套手段です。
実は、戦前の日本でも、お国の為にと、赤紙と言われた招集令状一枚で、中国や東南アジア、南西太平洋の戦地に送られた一般国民が多数いました。彼らは大日本帝国万歳、天皇陛下万歳と叫んで銃弾の雨の中に突入して行ったそうです。しかし、戦局が不利に傾いた後も、無謀な作戦で、命を落とした兵隊達が多数いたのですが、その作戦は、戦場から遠く離れた日本本土にあった作戦本部大本営で、エリート幹部将校が立てていた作戦でした。彼らは、陸軍、海軍それぞれの無益なプライドのような感情的、非合理的な考え方で、戦地の多くの兵隊達の生死を左右していたのですが、兵隊などいくらでも代替が効くものと、その命を深く考えてはいなかったのです。
このような国民の命への軽視の姿勢は、実は、ずっと歴史の中で続いていたことだったのです。日本であれ、世界であれ、我々が生まれる直近まで、基本的に、社会は支配する側と支配される側で構成されていました。このような社会では、支配する側が支配される側の労働で得られた富を搾取して、その富のほとんどを所有し、特権階級として生きていたのです。戦時には、支配される側の多数の庶民が最前線の手駒として、命を晒していたのです。その命が失われたとしても、また新たな庶民を招集すれば良いと思っていたのです。その為に、支配する側は、いつも産めよ増やせよが支配される側へのメッセージだったのです。富の源泉は、支配される人達の数に比例しますし、もちろん、戦争に行かなくとも、栄養状態も医療も乏しい庶民の生存率は低かったので、そういう意味でも多産を推奨しました。
ここで、気が付かれたかもしれませんが、今の日本の政治家や経営者達が少子化を問題にするのは、結局同じような裏の事情があるからなのです。自分達は全くと言っていいほど生産的な活動をしていないので国民の労力に全面的に頼っている支配層の論理なのです。この仕組みを隠して、年金問題にすり替えて、少子化は国民の皆様にとって非常に問題だから、なんとかしなければならないと訴えているのです。確かに、現在のような年金制度であれば、労働層が高齢層を支えている訳ですので、少子化はこの点、非常に問題なのですが、実は、支配層が被支配層の一般国民から搾取している富を無視して話を進めようとしているから、一見、出生率を上げることしか解決法が無いように思えるのです。現在のような年齢構成が歪(いびつ)な状況のときに、即効性のある方策は、富の平準化を目指した富の移転なのです。現在の支配層である政治家、官僚や資本家、経営層が今こそ、被支配層の庶民、国民に、自分達の特権、富を差し出すべきなのです。これだけ科学技術が発達しているので、昔と違って効率良く富を生産できるのですから、富を奪い合う必要はないのです。富を分け与え合えば、みんながある程度の生活が出来るようになるはずです。
このような社会の真の仕組みを理解すべきです。それを知らない国民は、偏った教育や情報統制により愛国心を植え付けられて、命を捧げていたのです。これこそ、支配層の思う壺なのです。そして、現在でも、まだそのような支配層の隠れた陰謀は続いているのです。
日本国民の多くがこのカラクリに気付けば、出来れば世界各国の民衆が気付けば、世界は戦争など必要ないし、協力関係の対象となる地域が広ければ、広いほど、助け合いによる共存、共生が可能になるのです。