封建主義から資本主義へ、そして資本主義の行き詰まりへ

 人間の活動は、衣食住の基礎的な部分と文化、趣味、娯楽といった生き方を豊かにする部分などで成り立っていますが、どちらも経済的な裏付け無くては成り立つものではありません。長い歴史の中で、封建主義が続いていましたが、近年、資本主義が主流になっています。

 封建主義では、武力により、土地を収め、その土地を民に使用させて、得られた産物をかなりの部分搾取するようになっていましたが、資本主義は、資本を持つものが、それをベースに投資をして、民を雇用して、産物を収穫し、これでさらに富を再生産させていくことになっています。封建時代は、権力と富は、身分制度の頂点の一握りの人が握っていくことになりますが、そのことで、民衆の不満を抑え込むことが出来なくなって来て、資本主義が起こって来ました。資本主義では、元々は資本を持たないものでも、その才覚で、資本を集め、権力と富を握ることができる分、そしてそれらを目指す者達の切磋琢磨により、いろいろな面で、進歩が図られるようになった分、封建主義よりは進歩したと言えるかもしれません。しかし、資本家と大多数の大衆との格差は歴然とあり、それらを是正すべく、平等主義的な社会主義、共産主義が唱えられて、一部の国が、その制度を採用して来ました。しかし、平等主義には、人間が進歩するための切磋琢磨を押し殺すことになり、経済が縮小して、行き詰まって行きました。そこで、ロシアや中国も、社会主義を標榜しながらも、資本主義経済を採用せざるを得なくなって来たのです。結局、今日では世界全体が資本主義経済で回っていると言っても良いでしょう。前述したように、資本主義は、資本家と民との間の格差は、大きくなっていく傾向にあり、このことで、一部の富裕層と、大多数の貧困層という構成を生み出しています。このことが、社会の様々な問題の根源となっているのです。

 平等という多くのひとの幸せを目指した社会主義、共産主義の資本主義化を見ていますと、これまでに唱えられていた主義主張で、多くのひとが幸せに暮らすことにつなげることは非常に難しいと考えざるをえません。そういう中、筆者は戦後間もなくの日本に生を受け、経済発展下、多くのひとが中流階級的な豊かさを享受したと言ったある意味社会主義的な状況の中で成長して来ました。しかし、昭和が終わりに近づき、バブルが弾けてからは、その当時の何となく多くのひとが幸せを感じていた時代の終焉を迎えることになりました。そこで、日本が強く、豊かになるためには、欧米型の自由経済、本来の資本主義に則った政策、制度にチェンジすべきという方向が推し進められ、平成の30年間を経て、令和の今日に至ることになりました。しかし、その政策、制度変化がもたらしたものは、多くのひとが豊かな生活を享受するということではなく、一部の富裕層が富を握り、多くの貧困層を生む結果となりました。このような状況を見るに、このままの政策を続けることは、非常に危うい将来しか生まないのではないかと感じて来ました。ここで、昭和に回帰しようと言っているのではありません、昭和の良いところをヒントとして、現在に適した改革が必要だと思うのです。中国のような共産主義を建前にした資本主義ではなく、別の意味である程度規制された資本主義が必要であると思います。

投稿者

弱虫語り部

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