インターネットが普及し、コンピューターの性能が飛躍的に向上し、スマートフォンの普及も拡がり、これらの情報電子機器の使用が、我々の普段の生活の中に深く浸透しています。一方、高齢者を中心としたIT弱者の問題や、IT機器の使用は出来るが膨大な情報量に翻弄されるIT難民の問題が人々の人生に大きな影を落としています。しかし、IT技術、サービスの進化のスピードについていけずに、きちんと使いこなすことへの基本的な技術、ノウハウを使用者に習得させることを置いてきぼりにしているように思います。道具だけは簡単に使えるようになっているのですが、使い方やルール、マナー、リスクなどについてちゃんと理解せずに、表面上の便利さ、楽しさに、利用者もあまりそのようなことに留意せずに過ごしているように思います。その結果、もう既に大きな落とし穴に堕ちてしまった人も多数存在しているのです。
高齢者に多いのは、きちんとした操作が出来ずに、せっかくの便利な機能を効果的に利用できていないことです。また、若い世代の操作的には使いこなしていると思われる人でも、ネット上の偽情報や誤情報を信じ込んでしまい、間違った判断、行動につながってしまうこともあるのです。
これだけのIT社会になっているのですから、小学生のときから、読み書き計算の習得と同じようにITリテラシー教育を施さなくてはいけないのです。
正しい操作方法については、きちんと教科書で勉強すれば、小学校くらいで簡単に習得できるでしょう。問題は、情報のとり方、活用の仕方です。インターネット上には、何のチェックもされていない情報が多数存在します。私のこのブログも自由に書くことが出来るのは、インターネット空間の自由があるからです。もちろん、中国やロシア、北朝鮮のように情報を統制している国もありますが(それはそれで大きな問題だと思います)、ほとんどの国では自由が基本です。その代わり、嘘の情報、偽の情報、誤った情報が発信されていてもなかなかその真偽は明確になっていません。自由と言う権利がある以上、情報発信に関する義務もあって然るべきかと思いますが、なかなか簡単にはいきません。このような状態を前提に考えますと、我々自身ひとりひとりが、インターネット上の情報について、正しい判断力を持つ必要があるのです。
例えば、誰かが発信した誹謗中傷の記事が、もし間違っていたとしても、いかにも正しい情報として拡散していき、対象とされた人が酷く傷ついたり、場合によっては自殺するような悲劇につながったこともありました。災害のとき、偽の動画が拡散して、避難で混乱したこともありました。このような例はほんの氷山の一角でしかなく、途方もない数の偽、誤情報が溢れているのです。このような情報をどう取り扱うかには、科学などの学問の分野では必要な基礎能力です。そのような知恵を一般向けの情報リテラシーとして、学校教育のカリキュラムとすべきだと思います。もちろん、この分野は完全に確立した訳ではありませんが、その知識があるとないとでは大違いだと思います。
政府は高齢者へのITの普及に力を入れるだけでは不十分です。若年層からのIT教育をどのように導入するかを至急検討、具体化しなければなりません。総務省が有識者会議を昨年11月に発足し、議論を開始したようですが、やはりスピード感を感じられません。デジタル庁などというものを作ったのですから、マイナンバーカードも重要だと思いますが、ITの正しい普及の為の礎となる国民ひとりひとりのIT技術、リテラシーの習得を最重要課題として、具体化しなければならないと強く感じています。