2月24日で、ロシアのウクライナ侵攻から一年間が経過しました。国連の安保理でも、この一年を総括する議論が行われましたが、各国のそれぞれの思惑からの主張に終始し、深刻な対立は一歩も前進しなかったようです。
各国の国連代表には、真剣に平和を望んでいる人達もおられるとは思いますが、日々戦死者、負傷者が増えていっている現状に対する是が非でも停戦への道を模索すると言う切実感が感じられませんでした。高度な政治的判断から、それぞれが一方的に主張するエリート達の自己満足の会議としか思えません。今も刻々と流れている血をなりふり構わずに止めようとする泥臭くとも、歩み寄ることを一番にする姿勢は示せないのでしょうか。自分自身の命に危険の無い人達がいくら理屈を言っても、決してまとまるわけはありません。
ウクライナが全領土からロシア兵が撤退しなければ停戦はあり得ないとする気持ちは分かります。戦争の当事者が強気の条件を出すのはどうしょうも無いことでしょう。だから、ロシアとウクライナ以外の国が、国連と言う場で現実的な解を求めて、必死に歩み寄りを求めて議論するのが本来の姿ではないでしょうか。それには国や個人の面子などにこだわっていてはいけません。妥協こそ必要なのです。領土、境界、制裁、安全保障など全てに納得いかなくとも、とりあえず停戦条件を擦り合わせ、妥協するのです。その形が歪であっても、まずは停戦されることが一番なのです。それで、これから失われる兵士、市民の命を救うことが出来るのです。武力での戦いは正義がある方が勝つ訳ではありません。しかし、闘いを止めれば、その後は、時間がかかったとしても、理のある方向に世界は動くのです。それは、それぞれの国民が冷静になれば、そして、いくら情報統制、情報操作があったとしても、少しづつ真実がじわじわと浸透していくからなのです。そうなれば、国民は本当に国民の為になる勢力に傾いていくと思うのです。
戦地で地獄を見ている人にとっては停戦こそが生きる望みだと言うことを、エリート達は自分自身の感覚として感じ取れれば、きっと実現できると思います。