幸福の科学の創始者で同宗教法人の総裁である大川隆法氏が亡くなられたと報道されました。その後、ネットニュースなどで、後継者問題がいろいろと取り沙汰されています。文鮮明旧統一教会会長の死後にも、未だに家族間の確執なども報じられています。
 
 これらの宗教の中身についてはひとまず置くとしまして、今回、私が気になりましたのは、カリスマの創始者が亡くなられた後の何とも人間臭い後継者問題についてです。

 これまでにも、政治家、起業家の後継者問題について述べて来ましたが、いずれも後継者を妻や子供などの血縁関係のある人への世襲が中心となっていること、つまり生物である人間の血脈へのこだわりの深さがどのような場面でも見られることに、どんな職業であれ、どんな人間を超越したと言う存在でさえ、DNAにプログラムされた本能からは逃れられないと言うことだと思ってしまいます。

 私は人間の文化的な進歩は本能から如何に解き放たれるかで、その人間たる叡智を感じられると思っています。しかし、こと後継者問題に関しては、このDNAからの呪縛に逃れられないのです。

 本当に合目的、理性的に考えますと、政治家であれ、起業家であれ、宗教家であれ、その構築した成果をさらに発展させる為には、血族などに拘らずに、広く候補者を選び、最適任の後継者をその中からピックアップすることだと思います。しかし、このことが出来ていません。理由は、ほとんどのリーダーが己のやって来たやり方に拘り、自分の考え方が一番だと思っているからです。そうなると、自分の配下や、世間の中を見渡しても中々そのような人材がいないからです。その結果として、自分に最も近い血縁を後継者にすると言う安易な道を選択してしまうのです。例えば、ある組織をここまで大きくした創始者がいるとして、そこまでにした自分の能力、方法論に拘ってしまいますと、結局、その組織はそれ以上の成長は見込めません。それ以上に発展させたければ、自分には無い能力を持った人材を後継者にすべきなのです。そう考えれば、自分の性質に似通っているとも言える子供に、自分のやり方通りにやり遂げさせようなどとは非常に残念な考え方なのです。

 歴史的にも、一国の王やリーダーも、大企業のリーダーも、血縁の中で長く続いたことはありません。人間の進歩は、異質なDNAが世代交代しながら為されて来たのです。

 どうして、カリスマと言われた創始者がそのような真実に目を背けて来たのか不思議です。このことを理解していれば、早い段階から後継者候補をいろいろと集め、育成していたはずです。そして、血縁に拘らず、その中から後継者を指名して、自分の時代を超える次なる発展の体制を自分の死の前に準備していたはずで、家族間の後継者争いなどあろうはずがありません。
 

投稿者

弱虫語り部

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