前回のブログで、ワールドベースボールクラシック(WBC)での栗山監督の采配について感じることを述べました。野球などスポーツは勝敗がはっきりつきますので、施した準備や打った作戦を勝敗を評価基準にしますと成功したか失敗したかは誰の目にも明確になります。一方、どのような結果になるか、表が出るか裏が出るかは紙一重であり、ある意味運の要素を完全に除去することは出来ませんので、例え完璧な采配をしたとしても、常に結果がついて来る訳では無いのが勝負事と言われる世界なのです。だから、結果としてその采配の責任は取らざるを得なくなるものなのです。

 一方、政治の世界ではどうでしょうか。政治家がいろいろな政策を出して来るのですが、その政策が完全に失敗であったかどうかを明白に示すことが出来ない場合がほとんどです。政治家が言い逃れ易いのは、スポーツと違い完全な失敗(敗北)はほとんど無いからなのです。もちろん、リスクマネージメントを施して完全な失敗を回避するのは当然ですし、許される訳もありません。だからと言ってその策は最善で無くて良い訳はありません。その微妙な所が政策の良し悪しなのですが、それを証明するのが難しいのです。例えば、三人の首相の政権が新型コロナウィルスへの対応をしました。私は以前のブログでも述べて来ましたように、最善の策とは言えないことが続いていたと思うのですが、彼らはそれを決して認めずに、責任をとろうとか、反省をするとか決してしませんでした。このような状況が続くから、政治家は進歩しないのではないかと思いたくなります。WBC日本チームの選手達は優勝してもいろいろなことを反省し、さらに自分を磨こうとします。この姿勢こそ人間を進歩させる道なのです。それなのに、政治家は自尊心が高過ぎるのか、競合や有権者に弱みを見せたくないのか、決して非を認めないのです。このようなことを続けていけば、国民の為に今よりも少しでもより良い政策を提供していくことなど出来るはずはありません。

 政治家の一番の本分は、国民、市民の生活を守り、向上させることなのです。その為には、自分達の行ないを常にチェックし、改めるべきはきちんと改めることによって、政治家としての力が向上するのです。そのような本質を忘れ、自己防衛の為に、終始責任回避に走ることがどれだけこの国をおとしめているかを真剣に考えて欲しいのです。もしそのような考え方が出来ないのであれば、その政治家は特権と高収入を目当てに議員になっていることが明白なのです。我々有権者は政治家の責任逃れの態度を決して見逃さず、次の選挙の投票に活かさなければなりません。