桜の季節になりました。近くの桜スポットに行きますと、多くの方達がのんびりと桜並木の下を散策したり、写真を撮ったり、家族で談笑されたりと思い思いの形で、桜の開花を楽しんでおられました。なんと平和なのでしょうか。この自然の恵みに少し触れるだけで、何とも言えない幸せな気分になります。誰も争ったり、奪い合ったりせずとも幸せの時間を共有しているように感じました。
 
 人はこの世に生を授けて、幸せを求めて生きていきます。中には自分の欲望を達成することが幸せだと考えて、人と争い、人から奪い、人を思うままに支配しようとする人がいます。しかし、大部分の人間は、桜の開花で充分に幸せを感じられるのですし、その穏やかな情景をかけがえのないものとして考えられるのだと思います。

 一握りの権力者がこの調和のとれた小さな幸せで満足している大多数の人々の幸福を簡単に踏みにじってしまうのです。桜の下で私が感じた小さな幸せが、そのような己の欲望達成にしか興味のないDEタイプの人間に崩されることを考えると本当にぞっとしてしまいます。

 世界で貧困などで苦しんでいる人が多く存在している状況があると、権力者の付け込む隙が出来てしまうのです。生活に窮していると、権力者の甘い言葉の裏を見抜けず、愛国心と言う誤魔化しに洗脳され、例え他国の善良な民衆を傷つけても、生活が良くなると信じ込んでしまうのです。一方、日本人のように、それほど豊かではなくとも、日々の暮らしをしのいでいけるくらいであれば、桜のような自然の恵みを大いに楽しむことが出来るのです。それであれば、どこかの国を侵略したいとか、戦争を始めたいとは思わないのです。少なくとも、世界全体がその程度の豊かさを享受できるように、世界の富は分配されるべきなのです。そうなれば、殺し合いでも何をしてでも生きていかなければならないと考えていた多くの人間が飢餓から脱し、心の余裕が出来、桜のような自然の恵みを愛でることが出来るようになるのです。

投稿者

弱虫語り部

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