日本の来年度予算案の審議の過程で、岸田政権の目玉政策と言われています異次元の少子化対策にいろいろな意見が交わされています。また、それとも関連したこども家庭庁が四月一日に発足します。妊娠期の子育て支援、子供の虐待や貧困といった困難に直面する子供や若者への支援、そして少子化対策と、目指す使命は非常に重要です。このような問題点に対処するとした姿勢は大いに評価できると思いますが、掛け声に終わってしまわないことを切に願いたいと思います。
これらの問題は非常に多岐に渡っていますし、原因も複層していて、ひとつひとつに対処療法的に対応していては効率的な手を打てるとは思えません。まず考えなければならないのは、大人の代表である政府、議員、官僚幹部達が真に公平、公正な社会を作ろうと考えるかどうかだと思います。国民のひとりひとりの人生において、真面目に努力していけば、ある程度豊かで充実した生活が出来ることを保障するような社会に変えて行くかどうかだと思います。
その為に、親から子供へ、富や権力が継承されるような仕組みを変えることが必要です。世の中の様々な既得権益を排除し、純粋に個人の努力によって、成果が得られる社会にすることが重要なのです。政治家や資本家の子供として生まれれば、保有する能力に関わらずある程度、その富、権力を踏襲出来るという今の制度を変えるべきなのです。親がたまたま政治家に関する能力が長けていたとしても、その子がそうかは別なのです。遺伝学的には、親が成功した能力と同じ遺伝子を子供が受け継ぐ可能性はあるのですが、そうでない場合も良くあります。また、ひとつの職業に必要な能力はひとつの遺伝情報で決まるものではないので、政治家に必要であるすべての遺伝情報を引き継ぐ可能性はかなり低くなってしまうのです。だから、親の職業を引き継いでうまく行くケースはかなり小さい確率となってしまいます。
もうひとつの重要なポイントは子供が保有している才能を開花させるような環境、仕組みが必要だと言うことなのです。人はそれぞれ生まれ持った才能が異なります。それなのに、花形の才能ばかりに注目してしまいます。例えば、野球の大谷選手のようになろうとしても、その遺伝的な才能が根底に無ければいくら努力しても、大谷選手のようにはなれません。だから、生まれついたときにその子の人生は決まるのだと言う極論を言われる人がいますが、両親からどのような遺伝子を受け継ぐかは、多くの偶然の産物であるので、良く言われるような親ガチャと言う面は確かにあります。もし、この世の中に必要な能力、職が野球だけであれば、そうなのでしょうが、実際は、この世界、社会には、無数の能力、職が必要なのです。大谷選手はたまたま野球だったのですが、それ以外の人も無数の才能の中のどれかを与えられてこの世に生まれて来ているのです。問題は、その才能が何か分からないまま成長してしまう人が多数いると言うことです。これは、受験勉強に偏重している今の教育制度、システムに大きな問題があるのです。今の主要科目が得意な人の能力が必要とされる職業は限られているのに、その他の多くの職業に必要な能力を見出し、磨き上げることにほとんど力を入れていないのが今の教育です。今の教育制度で勝ち上がって、官僚や学者になった人達がこの教育システムを善しとして継続しているから、なかなか改められないのです。もちろん、子供を育てる親や回りの人間も、画一的に良い学校に入って、良い会社に入ることや、花形の職業に就くことだけに囚われていることを反省し、その子の能力を開花させ、それにあった職業に就かせることに努めるようにならなければなりません。
この二点は、多岐に渡る社会に必要な機能を千差万別の能力を持った人が担当し、支えていく社会の実現、そしてそれが個々の人々の幸せで充実した人生を可能にすると思います。そのような個々人が社会に必要とされ、それに応え、またそれぞれもそれで豊かで充実した幸せな人生を送ることが出来れば、子供や若者の多くの問題を抜本的に解決していくと思います。