ある小説家がJAF広報誌に投稿されていた記事で、山小屋暮らしでの日常で感じる幸福感を書かれていました。朝起きた時に見る太陽、夜空の満点の星、就寝時の愛犬の温もりなどちょっとした日常の風景に出会うときに幸せを感じると言うような話でした。
いつも述べていますように、幸せにはひとりひとり異なった対象が存在します。その受け手の物差しによって、ふとしたところにも転がっていると思います。
人間生まれて学校に通い始めると、周りの大人や友達から、画一的な幸福感を植え付けられるものです。例えば、いい大学に入り、いい会社に就職し、家庭を持ち、家を建て、老後は孫に囲まれた生活が待っていると言うような。そのような絵にかいたような人生を幸せと感じるひともいると思いますが、みんながみんなそうとは限りません。いい大学に入っても、いい会社に入っても辛いことばかりと感じるひともいるでしょうし、家族との関わりが苦しみの種になるひともいるでしょう。最近でも、孫に殺された人も報じられていました。人間、何が幸不幸につながるかひとりひとり千差万別の人生があるのです。
だからこそ、周りの人達の言葉に惑わされる必要はありませんし、他人の人生と比較することもありません。自分がどんなときにどのように感じるかを自分自身に問うてみて、その中に幸せの物差しのヒントがあるのだと思います。
もちろん、最低限生きていく為のお金は必要ですし、健康も維持しなくてはなりません。だから、辛く苦しくとも、嫌だと思っても、やらなければならないことや我慢しなければならないことはあります。また、多くの人達と共存する社会に生きている以上、他人を傷つけたり、落とし込めたりしないような他人への配慮もしなければなりません。その最低限の義務さえ果たしておけば、後は、自分の人生なのです。冒頭の作家のように、日々の生活の中で身近に幸せと感じるものがあれば最高ですね。趣味に打ち込むのも良し、自然との一体感に浸るのも良し、特別なひととの関わりに喜びを見出すのも良し、もちろん仕事や社会貢献に没頭するのも良しです。出来れば、生活の為に仕事をする中にも、充実感を得られることがいいと思います。言葉を変えれば、自分に合った仕事を見つけることが人生の多くの時間を充実させることが出来、結果、良い成果につながり、社会的な評価が上がり、得られる収入も増えるというような効果もあります。
このような自分ひとりひとりの幸せ探しを人生の目標とすることを、早い段階で、教え諭すことが重要であります。小学校からそのようなことを教え、生徒ひとりひとりが人生の道標として、幸せの物差し探しを高らかにスタートされることが出来れば、今よりも多くの人達がもっと幸せな人生をおくることが出来ると思います。