国連人口基金は世界人口白書を公表し、その中で世界のあちこちで、出生率の上昇や低下を目的とした政策は効果が出ないことが多く、女性の権利を損なう可能性があると指摘しました。

 日本でも、少子化対策を国家的な重要課題として、異次元?の政策として出産の奨励、補助を進めようとしています。私も以前から、このような対策では本質的な問題解決にはならないことを指摘して来ました。多くの税金を使って、愚策に終わる可能性が高いというのは、私がいくら指摘しても何ら影響は無いと思いますが、国連の機関が発することに対しては、少しは聞く耳をもっているのでしょうか。

 日本の異次元の少子化対策と言っても、明治以降の近代日本で「産めや増やせや」と言った政策と本質的には何ら変わっていません。私は、人間は、他人の生活、生命を脅かすことが無い限り、自由であるべきと思っています。産むことの自由もそのひとつで、他人からとやかく言われたり、指図されたりすることではないと思うのです。裏返せば、子供を産んで、育てることを自分自身の判断で決めるということは非常に重大な責任を伴うものなのです。だからこそ、自分自身で決めなければならないことだと思うのです。本人のきちんとした判断、決断でもうけた子供であれば、少したりとも疎かにはできないでしょう。今も度々報じられる幼児虐待などは、親として子供の健やかな成長にすべての責任があると言うことが理解出来ていないからなのです。世の中の風潮や政府の政策に惑わされて軽い気持ちで子供を作ってはいけないのです。この最初のボタンの掛け違いが、大きな不幸や社会問題を生み出してしまうのです。

 だから、最近のブログでも強調していますように、政府がやるべきことは、表面的な対処療法に無駄に税金を使うのではなく、生まれた命に、如何に成長への公平なチャンスを与えるかなのです。そのような環境が整うと、子供を取り巻く問題に限らず多くの問題が劇的に減少すると思います。

 自由の基盤は、生まれたときからどれだけ公平なチャンスが与えられるかなのです。

投稿者

弱虫語り部

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