最近、若い人が闇バイトを通じて、強盗の実行犯や特殊詐欺の受け子などで逮捕される事件が連日報じられています。その動機は様々であると思いますが、裕福な家庭の子や順調に受験競争に勝ち進んでいる子がそのような犯罪に手を染めていることは少ないと思います。逆に考えますと、お金に不自由な子や将来を悲観した子が関与する可能性が高いのだと思います。もちろん、貧乏な家庭に育った子でも、真っ当な仕事につき頑張っている人も、受験競争に勝ち残れなくても天職を見つけて頑張っている人も多くいると思います。
この差の中に、ひとを幸せにする鍵が存在しているのです。ある人は家にそれほどお金も無く、勉強も好きではないと学校生活もつまらなくて、そのはけ口を目の前の遊興にふける、しかしその為にはお金が必要で、手っ取り早くお金を得る方法についつい手を出してしまうと言うような流れに乗ってしまうのかもしれません。その前提として、勉強が出来なければ落ちこぼれだと言う間違った概念に翻弄されているのかもしれません。
勉強が出来ないのであれば、勉強とは違う分野の才能がもともと人には備わっています。だから、学校の成績だけで、判断する大人も間違っていますし、そのような風潮に流されてしまい、自分自身を落ちこぼれや駄目な奴と評価してしまうことも大いに間違っているのです。社会には非常に多くの必要とされる仕事、職業があります。人はその中の最低ひとつを担う為に生まれて来るのです。そのことを真理として、教育は為されるべきなのですが、今の学校ではあまりに偏った道しか指導されていません。実はほとんど多くの親もそのことに気付いていなくて、それが受験戦争などと言った道にしかスポットライトをあてずに自分の子供に評価を下してしまって、その子の本来進むべき道を見ようともしていないのです。
このような構図が人を不幸にしているのです。親や教師などの周りの大人は、子供ひとりひとりについて、この子は何に適しているのか、少なくとも義務教育9年プラス高校3年の長い期間、ずっと考えていなければなりません。もちろん子供本人も自分は何の才能があるのか、どんなことだったら辛いこと苦しいことでも頑張れるのかと、常に考えていかなければなりません。学校や家庭は、そのことを考える為にどのような情報を提供していったらいいか、どのようなことを子供達に経験させたらいいのかを真剣に考えるべきです。その考えの先に本当に必要な教育が存在するのです。このような環境を提供出来れば、自分の進路に悲観する子供はほとんどいなくなると思います。そして、そのことで刹那的に悪事に走る若者も激減すると思います。