テレビで、芸人のグループが渋谷センター街のゴミ拾いをしていた番組がありました。道端には、空き瓶、空き缶、煙草の吸殻、食べ物の包装材、容器などがそこかしこに乱雑に放置、ポイ捨てされていました。片っ端からそれらを芸人達が拾って回っていたのですが、ゴミ拾いをしている横で、綺麗にされた道路へ、ためらいも無くゴミを捨てる人がいるのには驚きました。結局、大型のゴミ袋で50袋近くのゴミが集められたのでした。
そのような行動をとる人はどういう神経なのか、理解し難いのですが、今の社会には結構存在しているのだと思い知らされる出来事でした。
想像するに、仲間と路上で飲酒、飲食していて、その残骸を放置していたり、路上で煙草を吸っていて、吸殻をポイ捨てしているのがメインのような気がします。仲間の内、一人でもゴミ箱や吸い殻入れに捨てようと指摘する人がいれば、事態は変わったと思いますが、多分、そんなことを言ったら、仲間からダサい、ウザい、面倒しいと言われるのを避ける為に、このような行動をある意味かっこいいものだとかっこをつけているのだなあと思いました。
このような路上を汚す行為は、連日続いているようですが、多くは今回のようにボランティアが清掃しているのだそうです。渋谷区役所の職員にこの件に関し尋ねても、利用者のモラルを期待すると言った、何の具体性も無い反応にもビックリしました。いずれにせよ、これだけの社会問題が放置されている現状に為すすべもないのが残念でしようが無いです。
ゴミを簡単に捨てる行為は、幼児が周りを汚したりしても何も感じないのとまるで同レベルです。人は成長に伴い社会性を身につけていきます。それは家庭や、学校で養われるのが通常だと思いますが、そのあたりの成長が成されていないのでしょうか。新ハルモニア主義で考えて見ますと、このような他人に対する迷惑行動を根っから何とも思わないDタイプの人間がグループの中の中心にいて、その周りのWタイプの人間は、心の底では良くない行為だと分かっていても、間違った社会に対する反発行為として、カッコつけなければと同調しているのではないでしょうか。
このブログでもいつも述べていますように、今の社会は政府や自治体も満足にその使命を果たしているとは思えません。また、そのことにより、理不尽な思いをされている国民が多くいることも間違いないと思います。しかし、だからと言って、社会に迷惑をかける行為が正当化されていい訳はありません。その行為は、権力側にいる人達よりも、一般の民衆に対して悪影響となっているのです。天に唾しているのと同じなのです。
若気の至りと言われるように、若い内は、反社会的な行為がかっこいいと信じてしまう人もいると思いますが、その行為が如何に愚かで自分達の首を絞める行為であると言うことを、少しでも早く気付くような社会にしなければなりません。