日本においても、貧富の格差が拡がり続けています。昭和時代、戦争でほとんどの日本人がどん底の生活を余儀なくされました。戦後、幸運にも飛躍的な復興を遂げ、高度成長期を迎えることが出来ました。その期間、日本人の貧富の差が最も縮まった時代だと言えるかもしれません。一億総中流社会とも言われていましたが、今考えますと多くの人は現在の富裕層に比べますとまだまだ豊かな生活を送っていた訳ではありませんでした。それでも、将来に希望が持て、多くの人が活き活きと暮らしていたような気がします。また、犯罪はあったのですが、都会でも鍵をかけていない家も多くあるくらい、庶民の治安は良かった時代でもありました。

 この二点だけでも、重要なことを示唆していると思います。頑張れば、ある程度豊かな暮らしをおくれる可能性があり、貧しくても希望があれば、社会の落ちこぼれが少なかったことで、一般庶民が犯罪に手を染める機会も少なかったのです。

 前回のブログで話題にしました、街を汚して平気な若者や、闇バイトで強盗に入る若者が多数いることが現実である今日ですが、どちらも彼らが、将来に希望を持てないような境遇にいることが想像できます。人間社会の中に自分の居場所がある、又は将来きちんと居場所を作っていけると考えられる若者は、反社会的な行動をしたりはしません。親ガチャと言う言葉に象徴されるように、生まれによる貧富の差、境遇の差で、希望を持てない、自暴自棄になる若者が増えているのだと思います。もちろん、そのような境遇にも関わらずに真面目な人生を送る人もいて、それが理想ですが、現実には簡単にそうはならないと理解しないといけません。

 今の政治は、権力層、富裕層の既得権益を守ることが大前提で、物事を進めています。その為に、貧富の格差が益々拡がってしまったのです。少しでも多くの国民を幸せにしたいと願うのなら、生まれたときの格差を最小限に留め、本人の努力によって成果を求められる公平な競争のスタートに立てるような社会にすべきです。そのことで、多くの国民に活き活きした活力が戻り、治安の良い社会が実現するのです。

 権力と富を独占している人達は、己の周りだけ豊かに暮らしていればそれでいいと言う狭い考え方を捨てましょう。本当に自分の子供、子孫を幸せにしたいのであるなら、弱者を救うことを最重要課題として行動しなければなりません。一部の人達が既得権益、富にしがみついていれば、いずれ、全てを巻き込む不幸が足元にまで忍び寄って来ることを理解しなければなりません。いずれ自分や家族が犯罪やテロに巻き込まれるかもしれませんし、戦争で国が亡ぶことになるかもしれません。それは貴方達の利己主義によってもたらされるものでもあるのです。

投稿者

弱虫語り部

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