これだけ連日にニュースで報じられていても、未だに闇バイトに応募する若者が後を絶ちません。テレビなどで、ニュース解説者などが、「闇バイトで犯罪の手先になると、自分の人生に取返しのつかないレッテルを貼られることになり、苦難の人生を歩まざるを得なくなるので、軽々しく加担してはいけない」と警鐘を鳴らしています。このようなコメントは何度も聞いて来ましたが、闇バイトに応募する若者には届いていないようです。もし聞いていたとしても、将来のことなんか考えられないほど、お金に困っているか、自暴自棄になっていると考えた方が正しいような気がします。彼らの境遇に手を差し伸べずに、「悪いことをしたらあなたの為になりませんよ」とたしなめても理解されるわけはありません。

 理想の社会と言うものは、人間ひとりでは様々な困難に対処できないときに、手を差し伸べる環境、仕組みがあるものです。政治や教育はその主体となって、そのような社会の実現に向けて、いろいろな施策を講じていくのが本来の役割だと思います。現在の政治家や教育者で、この本質的な原点を理解している人がどれだけいるでしょうか。

 彼らは、全ての人間に対応すると言う、一見公平そうなことを言いながら、自分の役に立つ権力者や富裕者に篤く手当することに注力していませんでしょうか。自分自身の力で問題に対応出来る権力者、富裕層などに公平性と言う隠れ蓑を使って手を差し伸べるよりも、力も富も無い弱者を優先することが本来だと思います。

 このような基本的考え方を是非、政治や教育を進めるときの重要指針として掲げていかなければなりません。

 そう考えて、今の政治家や教育者の発言を聞いていますと、選挙のときは総論として、弱者支援を謳っている人はいても、国会や議会で、弱者を優先して自分の意見、案を説明している人がどれだけいるでしょうか。

 私が思うのは、社会的強者などは、自分の力で生きていけますが、貧困層や教育現場の落ちこぼれは社会が助けていかなければ、先に述べたように、未来に希望も持てず、自暴自棄に陥り、反社会的な行動に走ってしまう可能性が高いと思います。だからこそ、早い内に、若い内に、手を差し伸べて、社会の一員としての居場所をみつけられるようにしてあげるべきなのです。そのようなことに税金を多く投資したら、益々税金を多く集めないとと思われるかもしれませんが、そうではありません。実質的に必要でもないのに、強者に使っている税金を減らし財源にすべきです。例えば、社会保険料で言えば、年金も医療費補助も必要が無いほど富を持ってる人達をケアすることはないのです。また、社会の落ちこぼれが少なくなれば、健康でも生活保護を受けているような人は激変するでしょうし、犯罪が減少すれば、その対策費用も減るでしょう。

 弱者を作ってから、そこに生活保護、犯罪対策などと言った費用をかけるより、若い内から、弱者を作らないような施策を講じて、それに税金をかける方が、よっぽど効率的に税金を活用出来、税金をセーブできるのだと思います。

 弱者を作らない施策については、以前も述べていますが、ポイントは、生まれた時点で、差がつかないような、みんなが公平な競争のスタートラインにつけること、受験勉強に長けたものだけに焦点をあてない教育、つまり、社会の様々な機能を担う多くの職業に対して、個々人の適性が見い出せるような教育、その支えとなる職業に貴賤の無い社会を作ることだと思います。