前回のブログで、対象にしましたジャニー喜多川氏は男性アイドルエンターティメントで、市川猿之助氏は歌舞伎で、それぞれ独自の世界を創出し、偉大な功績を残されて来た人物です。だからこそ、大きな権力を持ったのでしょう。その過程では、類まれな才能をベースに水面下でいろいろな努力をされて来たのだと思います。そのことについては、誰もが認めざるを得ないと思います。
そういう人物から、見ますと、部下や後進を非常に厳しい目で見られていたのでしょう。そうであれば、自身の力と他者の力の差が歴然とあり過ぎて、自身を特別視してしまうのも不思議ではありません。この自信と言いますか、認識が人間として客観的な立場にいることを難しくしているのだと思います。悪い言い方をしますと、芸の善し悪しで、他者を馬鹿にしてしまうのだと思います。人間は全人格的に優れていることはありません。たまたま仕事である芸の世界、エンターティメントの世界で優れているだけなのですが、芸が全てのような錯覚をして、他者を評価してしまったのではないでしょうか。この状況が、裸の王様状態を生んでしまうのだと思います。
裸の王様の状態になってしまえば、誰もが反論したり、指摘したりしなくなってしまうので、よけい自分のしていることが正しいと錯覚してしまうのだと思います。確かに、彼らの言い分は、努力が足りない他者を見ていれば、そうだから駄目なんだと、他者を評価してしまうのは分かるような気がしますが、それが落とし穴なのです。
一般的には、一芸に秀でた人は人格も優れているとも言われますが、それはすべての人に当てはまる訳ではありません。本人が自分自身の性格を充分把握していれば、自分の欠点、弱点も理解出来ていて、一芸に秀でているからと言って、傲慢にならずに、謙虚な姿勢を保ち、他人に寛容であると思います。一方、前述したように、自分の優れた部分において他人が劣っていたり、努力も不充分であるとその人を見下し、傲慢で、威圧的に接してしまい、自分を批判したりする人を排除するタイプの人は裸の王様になり易いのです。
裸の王様になって一番迷惑なのは、国家レベルの権力者、独裁者です。これまで述べて来た芸の世界とは住む世界も違いますが、桁違いに多くの人達を苦しめることになるからです。