前回のブログで男女差別について述べましたが、少し深堀りしたいと思います。

 男女平等と言っても、すべてを平等にするのがいいかと言いますとそうではないと私は思っています。元々生物学的には生まれたときから異なる点を多く持つのが男と女です。だから、それぞれの得意なところ、不得意にところも異なっていますので、すべてを同じにするとなったら、いろいろな不都合が生じてしまいます。一方、男女とは関係無く個体差と言うものも明らかに存在します。例えば、一般的に男性の方が力が強いと言っても、個々に見ると、男性より力の強い女性が存在します。

 私の主張は、男女ということで差別するのは間違っていると思います。と言って、すべて平等にしないといけないと言うのも違うと思っています。じゃあどうすればいいかと言いますと、人は生まれたとき、すべて同じ可能性、将来性を持ったスタート地点に立てることが重要なのだと思います。そして生まれてからは個々の特性に応じた道を進む中で、男女の差で扱いを変えてはいけないのです。これはLGBTαと言われる人達も同じです。男の社会だから女性を拒否することも無く、反対もしかりです。要は、その道に適しているのであれば区別無く、同じ環境を与えると言うことなのです。

 その人個々人の道を尊重することが重要であり、男女のような大括りで人をああだこうだと規定することは誤りだと思うのです。つまり、男女平等では無く、男女やその他区別なく機会平等と言う精神を基本的な考え方にしなくてはならないのです。そして、個々人の個性を尊重し、それにあった評価を公正に行い、処遇すべきなのです。

 今回の女性役員の比率の問題について言いますと、企業に入社してからの、教育や実務の機会を女性だからと奪ってはいけなくて、その機会、チャンスを公平に与えて、その個々人の能力、業績を公平に評価することが、一番重要な事なのです。その結果として、役員に相応しい人が選ばれればそれが公平なやり方なのだと思います。決して、結果としての比率を決めることが重要ではないのです。