NHK大河ドラマ「どうする家康」で、家康の妻と長男が織田を裏切り、武田に寝返ろうとする話が題材になっていました。多分、今回の物語は史実とは違うとは思いますが、築山殿の壮大な企てに共感した人もおられたのではないでしょうか。
日常的に繰り返される戦に多くの人間が絶望していく世の中を憂い、築山殿は富や食料の奪い合いの世界ではなく、分け与える世界、つまり、戦が無い、助け合いの世界を築こうと考えました。その為に、天下布武を唱え、武力で日本を統一していこうとしている織田信長に対抗し、武田、北条、徳川の連合を作り、その広大な地域で助け合いの社会を実現すれば、回りの国々の賛同も得られ、さらに大きな平和の世界が出来上がり、その結果、織田信長としても、武力でこれを打破することも出来なくなり、結果的に織田もこの連合に加わることになり、天下は血生臭い戦が無くなり、共生社会の実現となるであろうとのことでした。
この論理展開は、私が常々主張している理想の社会像と重なります。多分、脚本家が家康と瀬名(築山殿)のラブストーリーから話を始めたので、単なる築山殿の裏切りでは話の繋がりが悪いとして、苦肉の策として、築山殿の理想社会の実現に向けた陰謀と、その失敗を自分の命を捧げて犠牲になったというような夫婦の絆の物語にしたかったのだと推察できます。築山殿悪者説を覆す為に彼女の平和主義、慈愛を表現する企てとしたのでしょう。
戦国時代にこのような共存、平和主義を本当に唱えた人が存在したかはかなり疑わしいですが、脚本家が現在の格差社会、競争社会への警鐘を鳴らしたかったのかもしれませんね。
私が唱えています新ハルモニア主義は、一部の人間の欲望達成の為に繰り返される人類の戦争の歴史にピリオドを打たなければ、我々多くの民衆の幸せの土壌が作れないということは、ある意味合理的でそれしか無い解決策だと思っています。出来るだけ多くの人々がそのことに気付いていただきたいと切に思い、日々、このブログを続けているのです。