またストーカー的な殺人がありました。十代の女性が元交際相手に自宅マンションで刺殺されたのです。このような悲劇が繰り返されることに非常な悲しみを覚えます。
私には詳しい事情は分かりませんが、恋愛のもつれであることは間違いありません。人は本能的に恋に落ちると思います。それは相手を好ましく思う感情から発せられるのですが、相手には相手の心、感情があるので、そう簡単に相思相愛とはいかないのが世の常です。また、一度好き同士になっても、付き合う内に感情の変化が起こり、うまくいかなくなることもよくあります。大部分の人は、失恋に辛い気持ちになり、打ちのめされることになったりしますが、時間の経過などの薬が効いて、少しずつ立ち直っていくものです。そして、新たな恋を追い求めて行くものです。
今回の事件の犯人のように、相手から別れを宣言されても、しつこくつけ狙うストーカーや場合によっては刃傷沙汰になってしまうことがあります。自分がこんなに相手を愛している、想っているのに、相手はこちらを振り向いてくれないのが許せないのです。しかし、それはひとへの愛という感情ではなく、自分の単なる欲望に過ぎないのです。
生物としての本能は、自分の子孫を残す為に、自分の子供により良い遺伝子を受け継がすように、相応しいと思う相手を選ぼうとします。これは人間も一緒で、恋心が生まれるのはそのような感情から来ているのです。しかし、相手の合意が得られないと、その恋は実を結ぶことはありません。もし、自己本位、自己中心に判断するだけであれば力づくで相手をねじ伏せることになってしまうのですが、それでは人間が追い求めている幸せにはなれません。
動物は、食料を確保し、子孫を作り、育てて一人前にすることが本能的にインプットされています。人類も同じような路線を歩んで来ましたが、文明が発達し、多方面の欲望を達成することに喜びを見出すようになって来ました。欲望というものは、際限がありません。ひとつを獲得すれば、また次のものを欲しくなり、その実現の為には、他人から奪い、他人を蹴落とすことで、多くのいさかい、争いが起こってしまうようになったのです。これを際限なく繰り返していけば、結局人類の滅亡へと続いてしまうことに気付いて来たのです。
その歯止めとして、人類が獲得したのが、愛と言うものです。愛がこれまでの思想と断然違うのは、自分の愛するものを守る為には、自分を犠牲にしてもいいと言う感情なのです。言い方を変えれば、自分の為より相手の為と言う行動が出来るかどうかなのです。
ストーカーのような自分の感情しか大切にしない、自分の意にそわなければ、相手を傷つけることが出来るようなことは、自分だけが可愛いと言う次元の原始的な感情なのです。自分の好きなひとが自分を嫌うのなら、別れることが相手の幸せなのだと気付くことが大切なのです。それこそが、廻り回って、自分の幸せ、新たな道につながるのです。
ひとを好きになったとき、相手の幸せを一番に考えられるようになったとき、それが愛の感情なのです。そして、人類が進化の果てに辿り着いた究極の幸せへの感情だと言うことを忘れてはいけません。もし、そのように考えられないのであれば、その感情はまだ単に欲望と言うものなのです。