芥川賞受賞作家羽田圭介氏の、幸せって何だろうと言うテーマのエッセイを読みました。彼が、十代で小説家になり、二十代で芥川賞を受賞し、三十代の現代における幸福感の変遷を記していました。若い時のがむしゃらに過ごした前のめりの幸福の感じ方と違い、じんわりと幸せを感じるようになったこと、しかし、まだ何かそのような感じに馴染んでいない自分に気付いていて、幸福感の質が変化している中にあるのだと認識されているようです。そして、没頭出来るものがあるというのが、最も確かな幸福の種類だと締めくくられていました。

 幸福というものを突き詰めて考えることはそう多くは無いと思いますが、そこに面と向かうと、いろいろな感覚を思い出すものです。いろいろな感情はひとそれぞれでしょうが、彼も言っていたように、夢中になれることが幸せをつかむ為の大きなヒントであるのは間違いないと思います。

 生きていく為の仕事に夢中になれることは非常に幸せなことだと思います。もちろん、仕事以外でも没頭出来ることがあるというのは幸せなことですが、やはり、生きることとその大半を占める仕事の中に夢中になれることがあるのが理想だと思います。そこにやりがい、生き甲斐と言う共通項を持つことが、自分の人生の多くの時間を実りあるものと出来るでしょう。

 私自身は、若い時に夢中になれること、生き甲斐と出来ることをあれこれ模索していましたが、それは中々はっきりとは感じられずに、年を重ねていました。そこで、発想を変えて、今与えられている自分の仕事の中で、やりがいを感じるとき、充実感を感じるときを思い出してみました。そして、その瞬間をさらに多く感じるようにするには、どのようにして、与えられた仕事に働きかけたら良いかを考えて、仕事のやり方を見直してみました。この手法により、仕事に対して、能動的に働きかけられるようになりました。上司の指示にただ従うだけではなく、そのミッションの中に、自分をどのように活かすことが出来るかを考え抜き、それで、自分なりの目標とそれを達成する為の行動計画を立てることにしました。それを繰り返していきますと、自分の進め方などが周りに認められるようになり、ひいては、自分自身が会社のある範囲の計画を立て、それを遂行する為の権限や協力してもらう人達も与えられるようになりました。もちろん、最初は上司から生意気だ、指示に従っていれば良いと抵抗されることも多く、辛い日々を送らなければなりませんでしたが、この苦労も自分の幸せの為だと認識し、耐えることが出来ました。

 没頭できることがあることが最も確かな幸福の種類だと言われた羽田氏の言葉で、そのような自分の幸福探しの旅を思い出しました。幸福を追い求めることは諦めてはいけません。それには、夢中になれることを探し出し、そのことに没頭することです。それであれば、生きていく上でみんながぶつかる悲しさ、辛さ、苦しさに耐えていこうとする力が湧き出て来るのです。そして、その苦労の先に、徐々に光が見えて来るのです。

投稿者

弱虫語り部

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