自民党女性局議員等のフランスへの研修の際に出されたSNS投稿が物議を醸しています。パリのエッフェル塔やルーブル博物館で記念写真を撮影し、観光旅行の報告のように投稿したのです。代表者は研修自体は有意義であったが、誤解を招く投稿は不適切であったと陳謝されています。

 本当にこのような研修が有意義であったか疑問もありますが、はっきりしているのは、議員達の意識が国民の窮状を本当に理解しているかと言えば、そうではないことを露呈したと言うことです。生活に関わるほとんどのサービス、商品が値上げされる中、政府からの支援策も不充分で、一般庶民の生活にゆとりはなくなっている現状を彼女達政治家はどう感じているのでしょうか。議員の特権として、海外旅行をするのは当然の権利だと言うような開き直りを感じます。この庶民の状況を心底、問題であると認識しているのであれば、このような行為は出来なかったと思います。

 これまでにもこのブログで、政治家の質についていろいろと問題定義していますが、この程度の人達が、市民、国民の代表として、政治に関わっていると思いますと、大変寂しい気持ちになります。今回の一件でも、やはり、議員の報酬や特権、名誉を目的で議員になっている人が多いのは間違いないと自身の認識を再確認することになりました。

 確かに、政治家は日本でも増えている超富裕層ではないかもしれませんが、多くの一般庶民に比べれば、多くの報酬を手にしていますし、使い方も不明確な手当も多く得ています。この意味は、本来、国民、市民の為に、全身全霊をかけて活動していると言うことで、得られる待遇の筈です。つまり、国民が窮状に喘いでいる現在のような状況下では、自分を犠牲にしてでも、国民の為になる行為に打ち込んでいるのが当然なのです。それが、議会で居眠りしていたり、原稿を読むだけの形ばかりの討論で良しとしている人達が多く議員の席に安住しているのです。国民、市民は馬鹿だから、選挙のときだけ甘いことを言っていれば、それでなんとかなると思っているのでしょう。そのような心根だから、今回のようなボロをポロリと見せてしまうのです。

 このような状況を変えるには、いつも主張していますように、このような議員が生まれないような、議員の待遇、選挙システムに変えるしかないのです。しかし、それらを変えることが出来るのは首長や議員自身でしかないのが、この改革を難しくしている所以なのです。