終戦記念日が近づき、テレビでも多くの戦争に関する番組が放送されています。すべてに共通するのは、人間の凄まじい狂気です。十代の少年らが招集されて、戦場に送られたとか(これは現代のミャンマーでも多くの十代の少年が銃を持たされて、戦闘に参加しています)、特攻兵器がいろいろと発案され、多くの若者が自殺行為を強いられたり、沖縄では、米軍の上陸で勝機が無くなったら、民間人に自決するように強いたりしたことなど、政府や軍の上層部はどんな気持ちでそのような命令を出したのでしょうか。
多くの国民の上に立つ人間の立場であれば、少なくとも冷静に局面を判断し、国民を犬死させることなどあってはならない筈です。例えば、戦国時代でも、負けが濃厚となって来れば、主君が自身の命と引き換えで家来や人民の命を救うことがよく見受けられました。太平洋戦争当時は、愛国心、大和魂と国民に、命を捧げるように強いることはあっても、自身の命を懸けて国民を守ると言う、本来の大和魂を自分自身には課さなかったのです。そんな奴らの命令に従順に従って、死地に赴いた人達がどれ程多くいたのでしょうか。
人間の命をどう考えていたのでしょうか。軍の幹部にとって、特に大本営で最前線から離れて作戦司令していた者達にとって、前線で戦っている兵隊や一般国民の命など単なる消耗品程度だったとしか考えられません。彼らの全く根拠の無い神風が吹くことを狙った無謀な指令の数々で、どれだけ多くの命が失われたのか驚愕します。神国日本と称していた彼らは、もはや神国が負ける筈がないと言う集団催眠にかかっていたかのようです。これらの狂気を許した日本のリーダー達の責任も重大です。彼らこそ、冷静に情勢を判断し、自身の命を懸けて、国民の命を一人でも多く救うにはどうしたら良いかを判断するべきなのです。少なくとも明治維新のリーダー達は、内戦で国土が荒廃することを避けるように奔走したと思いますし、外国列強に対しても、自国の実力を最大限考慮した交渉を実施しました。確かに、不平等と言われる条約を結ばざるを得ませんでしたが、それでも国土が戦場になることを避けることが出来ました。
一国のリーダー達に負わされた責任はそれほど重いものです。残念ながら、中国事変から太平洋戦争に突入した頃の日本のリーダー達は、必要な才、能力を持ち合わせていなくて、まるでオカルト教の幹部達でしかなかったと思えます。
翻(ひるがえ)って、現在の日本のリーダー達はどうでしょうか。確かに、国民に直接死ねとは言っていませんが、コロナ禍の状況を見ていますと、間接的に弱者の国民が死んでも仕様がないとも思えるような、不十分な政策と実行しか出来なかったのを見ますと、かなり心配になります。