今日は終戦記念日です。78年前のこの日、日本は無条件降伏をしました。その数日前に、長崎と広島に投下された原爆が日本にとどめを刺したのだと、米国は原爆を肯定して来ました。確かに、本土決戦で、玉砕覚悟で最後まで抵抗すべきと主張していた軍上層部も、この爆弾の威力では、本土決戦どころか、敵は上陸せずとも、日本全土を廃墟にさせることが可能だと理解したのでしょう。それで降伏に至ったとも考えられます。
だからと言って、原爆と言う核兵器を使用したことが本当に許されるものなのでしょうか。米国は、原爆を使用しないで本土上陸し、地上戦で多くの人命が失われたであろうこと、それを回避したから、正しい判断であったと考えたのだと思います。しかし、原爆の効果を見せる為であれば、多くの一般市民を犠牲にする必要はなかったと思います。
もちろん、日本の上層部が、明らかに勝機が無くなってからも、有らぬ奇跡を信じて無謀な抵抗を続けたこと、犬死とも言える多くの国民の命を無にしたことはあってはならない判断だったと思います。
両国とも、戦争の生んだ狂気に毒されていたのです。戦争は敵国の罪の無い国民達をも殺すことを正当化出来ること自体、根本的に間違った手段なのです。殺し合いで勝敗が決まることで、国同士の紛争にピリオドは打たれるかもしれませんが、あまりに多くの悲惨な事柄が生じてしまうのです。この事実は、人類の歴史から明白になっているにも関わらず、人間はまたこの道を選んでしまうのです。残念ながら、その教訓は活かされずに、ウクライナはじめ多くの地点で、戦争が勃発しています。もしかしたら、中国は台湾併合を、武力で成し遂げようとするかもしれません。それらは、大国のリーダーたらん者が推し進めようとしています。ここに人類の愚かな歴史が続いてしまうのです。
これを止めるには、私達一般民衆ひとりひとりが、敵味方の国の違いに関わらず、戦争反対で一致団結するしかありません。
私は、例え敵国と言えども、人を殺すことを拒否したいと思います。武器を放棄したいと思います。出来れば、そのような行動をとる人達が、敵味方の区別無く、あちこちで出現することを望みます。もし、非常に多くの人達がそのような行動に出れば、戦争は成り立たなくなると思います。インド独立の父と言われたガンジーが唱えた不服従、非暴力主義が人類に残された最後の賢明な道だと思います。銃口の前に立ったときも、そのような信念でいられるか分かりません、ガンジーのように凶弾に倒れることはやはり恐ろしいですから。しかし、人間の長く繰り返されて来た戦争の歴史を見て来て、狂気じみた権力に対抗するには答えはこれしかないのではと思っています。やられたらやり返すと扇動され、踊らされるのでは、絶対に悲劇は無くなりません。
奪い合うのではなく、分け合うことが、多くのひとが幸せになる道なのです。