関東大震災からちょうど百年が経過しました。首都東京も焼野原になってしまう程の大きな被害が出たそうです。地震という自然災害の恐ろしさを経験したことも、後の防災対策へつながったと思われますが、もっと恐ろしかったのは、震災後の人災と言うべき人間の行動だと思います。それは、被災のどさくさに紛れて朝鮮人が暴動を起こそうとしたと言うデマが拡がったことです。そしてそのデマを信じた警察や群衆が多くの朝鮮人や朝鮮人に間違われた日本人などを多数虐殺したことでした(どさくさに紛れて、酷い行動を起こしたのは、実は、日本の官憲でした。彼らは、混乱に乗じて反体制派を検挙し、拷問にかけ、殺戮にまで及んでいたのです。)
朝鮮人が水道に毒を入れたとか、日本人を襲ったとか誰が始めたともわからない流言が、いつの間にか広範囲に拡がり、警察や自警団、果ては一般人らが、朝鮮人狩りをしたのです。中には、それはデマだとして、多くの朝鮮人を家に囲って、守った人もいたそうですが、大勢では、多くの一般庶民までもが、罪の無い朝鮮人等を多数殺戮したのです。
この時代は、現代のような通信手段は無かったのですが、デマ(今で言うフェークニュース)は人々の口から口に広まっていったのです。ここに、人間が災害に見舞われ、悲惨な状況に陥ったときの、危うさ、恐ろしさがあるのです。人間は不幸に陥ったら、そのはけ口を求める傾向があります。DEタイプの人達が、先鞭をつけ、この場合デマを作り上げ、それをまことしやかに、喧伝して行きます。これを聞いた多くのWEタイプの人達はそのデマを信じてしまいます。中には、そのようなことに逆らっては、自身が危険に晒されてしまうとそのデマを無理やり肯定してしまうWEタイプの人も多く存在したと思います。もともと普段から朝鮮人に差別的な感情を抱いていた人が当時は多数いたのがこれらの暴挙を加速した背景にあると思います。だから簡単にデマを信じてしまったのでしょう。
人間の群衆心理は非常に大きな危険性を内在しています。これは現在でも変わっていません。今はSNSなど情報通信の手段が格段に向上していますので、デマがあっと言う間に拡がってしまい、ひとたび群衆が受け入れやすいデマ情報、フェークニュースが発信されれば、暴挙が現実化されるリスクは大きいと考えた方がいいと思います。
我々はこのような事実をしっかり認識し、自分の判断、行動を律することが必要です。しかしそれだけでは不充分です。正しい情報が流される権威ある情報源が出来ていることが必須です。通常は、政府や自治体からの公的発信がそれに当たるのですが、そのような情報通信インフラが整っていなければなりませんし、公的機関への信頼感が普段から醸成されていなければならないのです。こう言うことも考えて、今から、周到に準備し、災害時の情報発信が的確に為されるように、整備しなければならないと思います。