2019年に起こった京都アニメーション放火殺人事件の裁判の初公判が行われました。被告は起訴内容を認めはしましたが、謝罪の言葉はありませんでした。こんなに沢山の人が亡くなるとは思わず、現在ではやり過ぎだと思っているとのことでしたが、事件当時はこうするしかないと思っていたと未だに自身の行動を否定はしていません。
事件前、京都アニメーションが自分の創作を盗んだと一方的に恨みをつのらせていたことが動機と言われています。もしそれが本当だとしても、この犯行を起こしたことの釈明には全然ならないと思います。そして、もしその事が原因としても、そのことに全く関係ない人が多数亡くなり、負傷したりすることは、ほとんど無差別殺人と同じであったと思います。
このような人間の持つ、冷静に考えれば、全く不合理な主張、考え、そして恨みを自分自身としては正しいと判断してしまう、独善とは非常に恐ろしいことなのです。人間は大なり小なり自分自身のことを客観的に見られない傾向があるのは確かです。だからこそ、自分の考え方がどれだけ正しいかは、自分自身だけで決めてはいけないのです。信頼出来る他人に相談して、確認することは絶対に必要です。今回のケースでも、彼の主張が正しいかを誰かに相談していれば、全く違った結果に終わったと思います。彼の主張の間違った点を指摘されたかもしれませんし、反対に正しいと賛同されたとしても、それであれば、どうしたら良いか、普通は法的にどうすれば良いかを弁護士とかに相談したら良いとかの判断が見い出せると思います、少なくとも、無差別放火殺人と言う手段に帰結することは無いと思います。
人間は、自分の考え方が全て正しいとなることはありません。ですから、自分の考え方を自分の中で思考を繰り返しては、どんどん一方的な面だけが強調されていき、客観的な事実とかけ離れて行くのです。このことをきちんと理解するべきです。そして、独善に陥りそうな状況を脱する努力をしなくてはなりません。
独りで考えを巡らすことが、独善と言う他者を全く顧みない危険な状況を導くのです。このことをどんな人間も忘れてはいけません。