公立学校の来年度教員採用試験の志願者が引き続き減少しています。

 この理由について、教員の長時間労働などの厳しい労働環境問題で、大学生から敬遠されているとの見方も強く広まっているようです。

 しかし、問題はそんな単純ではないと思います。このブログでも度々取り上げていますように、人材育成の基礎となる教育は、この社会をより良いものに改善する為にも、非常に重要なポイントだと思います。それなのに、今の教育内容であれば、受験勉強に頑張って、いい大学に入り、いい会社や職業に就ければ幸せになるでしょう、と言っているとしか理解出来ません。

 私は、教育とはひとりひとりの人間が少しでも充実した人生、幸福感を感じられる人生を歩めるような素養を身につけることだと思っています。

 重要なのは、そのような教育の目的を、教える方と教えられる方両方が理解しなければなりません。そう考えると、今の教育の内容で、何がそれに適っているのか、何が足りないかが明確に浮かび上がる筈です。

 今のように何の目的か、受験の為とも言えるかもしれませんが、皆が理解でき、納得できるような目的になっていない所から変えていかなければなりません。人間は目的意識が明確であるときちんと勉強に取り組むことが出来ると思います。逆に、受験に必要だから、変なこと考えないで暗記しなさいでは、多くのものがやる気を損ね、脱落していくこととなるでしょう。

 このあたりの基本的な部分が改善されて行けば、子供達への指導にもっとやりがいを持って取り込みたいと思う人が多く出て来るのではないでしょうか。教育、教育と綺麗ごとばかりで飾って、その実は、受験勉強が大勢を占めているような現実がある限り、教師という職業に打ち込む人は出難いのではないでしょうか。つまり普通のサラリーマン化して、だから長時間労働が嫌だと言うような理由で志願したくないとなってしまうのです。確かに、教師も人間である限り、病気になるまで働けなんてことはあり得ませんが、子供達の為にと頑張れば、頑張るだけの成果を感じられるようになれば、サラリーマンではない、ヤル気を持った若者達が教師を志願するようになると思います。もちろん、一方で、教師の労働環境はきちんと政治が改善していくように整備して行けば良いのです。