前回のブログで取り上げましたイスラエルとパレスチナの戦争のことを考えますと、非常に気持ちが塞がります。ロシアのウクライナ侵攻、ミャンマーでの内戦、中東、アフリカ諸国での様々な紛争と、今も地球上で人間同士が殺し合いを続けています。
それに対して、今、日本はのどかな秋の季節を迎えており、様々な社会的な問題もありますが、少なくとも、多くの国民が命の危険をほとんど感じずに、毎日を暮らしています。
しかし、この平和な状態に深く感謝しつつも、いつなんどき勃発するかもしれない、朝鮮半島での紛争、中国の台湾への侵攻、そしてロシアによる北海道など日本領土への侵攻のリスクを笑うことが出来ない程、それらの国は不気味な状態です。
戦争が破壊するのは、人間の普通な日常生活です。そして、その営みから生まれる生産物やこれまで築き上げて来た多くの富です。
これらの富が破壊されて消滅してしまうよりは、皆で分け合えば、貧困や飢えと言った問題も解決されるのです。また、戦争には莫大な軍事費がかかります。そのような損失を避けることでどれだけ多くの庶民が救われるか、ちよっと計算すれば判ることと思います。
歴史の中で、支配的な地位を獲得した権力者は、自分が統治したことで、世界に平穏と安定をもたらすとして、さらに敵対する人々を殺戮していくことが多々ありますが、これも先程示しました理屈から言いますと、詭弁でしかありません。
新ハルモニア主義の基本的な考え方では、殺し合いで解決しようとするのは、その裏に一部の人間の欲望が隠れていると判断するのが正しいのです。暴力に訴えると言うことは、正しくない何かを隠したいからなのです。お互い共生しようと反し合い、論理的に正しい道を進めば必ず話し合いにより、どんなことも解決すると考えています。そのとき、お互いは、それぞれの平和で豊かな未来を共有した上で、その未来に向かう為にはどうしたら良いかと、とことん話し合い、一番いい方法を見いだせれば、それが争い、紛争の解決となるのです。