臨時国会の開会にあたり、岸田首相が所信演説をされました。内容に一通り目を通したことで気がついたことを示したいと思います。
国民から求められている課題について、総花的に触れられていますが、特に力を込められていたのは、経済についてでした。これまで続いて来た「低物価・低賃金・低成長のコストカット型経済」から「持続的な賃上げや活発な投資が牽引する成長型経済」へ変革することを宣言していました。
経済と言う言葉は、経国済民、経世済民と言う中国の故事から出て来たもので、国を治め、民を救済することが語源で、それから派生して、人間の共同生活を維持、発展させる為に必要な、物質的財貨の生産、分配、消費などの活動、それらに関する施策、また、それらを通じて形成される社会関係を言うようです。最近では、「金銭のやりくりをすること」とした方が実情にあっているかもしれません。もともとの意味は、政治そのものだったのです。
さて、歴史的にも、為政者が腐心して来たのは、成長です。戦国時代、豊臣秀吉は、天下統一の過程で、敵対勢力を攻め滅ぼし、そこで得た領地、そこから生み出される富を部下に論功行賞として分け与え、それが統治する領地を成長に導いていったのです。しかし、このやり方では、日本全体を統一してしまうと、そこで成長は止まり、経済が停滞してしまうので、ここからは、海外である朝鮮、明を攻めることで、さらなる成長を目指したのですが、失敗してしまうのでした。その後、徳川家康が幕府を開き、秀吉の失敗を見て、日本国内だけで、統治することにしました。併せて、海外との貿易も限定的にしたものですから、この統治は、岸田首相の言われるコストカット型経済であったと思います。徳川家康は、この経済成長が少ないやり方でも、政権が維持出来るように、身分制度を核としたいろいろな法を整備し、多数派身分であった農民を生かさず殺さず程度で、彼らの富を搾取して、武装勢力であった武士階級を支配するようにしたのです。このやり方はかなり長く続いたのですが、長年にわたり抑圧された層の反抗パワーの増大と、欧米の進歩した軍事力を背景にした開国パワーにより、崩壊することになりました。いずれにせよ、支配層の生活維持が中心となっていたこと、外交的な視点が欠けていたこと、と本質的な問題を内在していたやり方ではいずれ破綻することは間違いなかったでしょう。
岸田首相は経済成長により、国民生活を豊かにしたいと言うことで、かなり選挙対策としての意味合いも強いのだと思えます。しかし、具体的な政策としては、賃上げ、企業の設備投資増加、生産性の引き上げと抽象的な段階を脱しているとは言い難いです。具体的と言えば、最近の税収増の部分を国民に還元さると言うことでしょうが、賃上げがあったと言っても、物価高で現実の国民の生活が苦しいことへのわずかな施しとしかなりそうにありません。貧困層への救済は、待ったなしと思いますので、そこに集中的に救済することは必要と思いますが、ある程度生計の立っている層へは、焼け石に水でしかないでしょう。
本質的な成長は、過去のように他国から略奪するのでないなら(もちろん、そんなことは許される訳はありませんが)、日本の生産性増加、技術力強化や新ビジネスの創生など、簡単に行くものではない部分を継続的にサポートしていくもので、その成果が出るまでには時間がかかります。それまで、どう国民の多くを少しでも豊かにするかは、やはり、即効性のあるのは、いつ叶えるかわからない本質的な成長を待つのではなく、現在の日本全体で保有している富の再分配だと思います。
このようなことから、国民全体に所得税減税などのような広いバラマキでは効果は少ないと思います。私が首相であれば、現在、貧困に喘いでいる層への緊急的な支援と、大企業、富裕層への増税などでの社会還元を実施し、その財源で一般国民層への減税、社会保障の強化をし、併行して、中長期的な視点の新技術、新ビジネス開発への継続的支援を実施したいと思います。
今回の演説には、デジタル社会の実現、全ての方が生き甲斐を感じられ、多様性が尊重される、包括的な社会への取り組み、地方創生、福島復興、関西万博支援、外交諸問題への積極的展開、拉致問題、防衛力の抜本的強化、憲法改正・皇位継承、旧統一教会問題と、総花的に、やりますと宣言していますが、どこまでやれるかは、具体策が見えてこないので、言いっ放しに終わることを危惧します。