前回のブログで、権力、権限が伴う地位については、終身制、もしくは年齢制限を設けないのでは、弊害の方が多いと述べました。

 人間はどれだけ優れた人であろうと、神様ではありませんので、いつまでも心身の健康を保つことは出来ません。年齢を重ねていく内に、人間の状態は変化します。若い内は成長していきますが、もちろん個人差はありますが、ある程度の高年齢からは老化し、いろいろな面で衰退が見られます。この変化は非常に徐々に進行していきますので、その変化を認識し難いのも事実です。特に、精神面、頭脳面での変化は自分自身できちんと認識するのは難しいと思います。歳はとったが、気持ちは若いときとあまり変わらないとよく言われるのは、そういうことだと思います。しかし、現実には明らかな衰えがあるのは明確です。さらに脳の変化、例えば認知症などが、正確な判断を狂わせる方向に働くのがさらに難しくしているのです。そうなれば、自分の状態がどうなっているのか正しく認知することは難しいのです。

 このような、生物としての人間の逃れられない老化を前提として、いろいろな地位、役職に留まることが出来る条件を設定しなくてはなりません。個人差があるからと、その年齢条件を曖昧にしていれば、大きな危険性を孕んでいるのです。歴史を見て行けば、特に最高権力者は、終身、その地位に留まろうとします。そして、その絶大な権力で、誰もそれを否定出来なくなってしまうのです。日本人に分かり易い例は、豊臣秀吉です。日本を戦乱の中から統一し、それに併行して、いろいろな制度、法、方策を整備し、統治して来た所まではかなりの功績を上げたと言わざるを得ませんが、統一後の死を迎えるまでの晩年には、気がふれたと思えるような行動を重ねていました。まさしく、晩節を汚したとはこのことです。

 このような先人の辿った姿を見て、我々は今の社会をより良くする為に活かさないといけないと思います。それなのに、未だに政治家の進退は政治家自ら決めるべきとそのときだけは理想論をかざして、誰が見てもよぼよぼになった何人もの政治家から国会議員や重要な役職の地位を奪うことは出来ていません。真面目に取り組めば、かなりの激務である筈の議員を務められる体力、精神力を有し、且つ脳の認知能力を維持しているのが本来の議員の要件であるべきですが、自分にも関わる問題と言うことで、議員達自らは、そのような問題を言い出す人は皆無です。大体、そのような老化した人が議員を続けられること自体、現在の議員は、きちんと仕事をしない人を許容できる職と言うことを如実に現わしていると思います。言い換えれば、例え議員数を極端に減らしても問題無くやっていけると言うことを示しているのです。

 理想は、自らの状態を客観的に把握し、自分自身で進退を決められるような人物が、国民の代表となる議員に選ばれるべきであるのですが、現実はそんな人物がどれだけ議員の中に存在しているのか疑問です。つまり、老害を振りまいていることなど少しも気付かずに議員の地位に居座っている人物が、先生と呼ばれて高給と高待遇を享受している姿に、どんな人物が、今の日本の議会を占めているのかよく判ると思います。

 我々、国民はそのような人物にいつまでも投票していてはいけないのです。